何となく生きてるうちに人生の難易度がどんどん下がる

広告

ゴロゴロしながら考えてたんですけどね。

年取ると、いろんなものが失われていくじゃないですか。

「体力」もなくなるし

「人生の残り時間」も減っていきます。

 

歳をとるって、言ってみれば、もろもろひっくるめて「可能性」が減少していくってことですよね。…だかそれがいい。

若い頃は「可能性は無限大だ!」とかいって、いろいろ頑張ったりしますけど、もうね、年寄りにはあんまり「可能性」なんて残されていないんですよね。

 

60歳になってからプロ野球選手を目指しても遅いんよね。

頑張っても無理なのよ。

 

「できないこと」がどんどん増えていく。

 

んで、これって、なんつ~か、悲劇的なことなのか?っていうと、「自分はそうは思いません!」って感じなんすよね。

 

選択肢がどんどん狭められていく、っていうことは、自分にできること、自分が進むべき方向が、ハッキリしてくるってことじゃないですか。

これ、優柔不断な人や、行動力や決断力のない人には、かなりありがたい話だと思うんですよね。

 

分かりやすく言うとさ、こういうことなのよ。

「今、目の前に分かれ道があります。どの道を選びますか?」

っていう状況の時にさ、

道が200本に分かれていたらどうですか。

・・・・・・

200本のうちから、自分が進むべき道を選択しろって言われてもさぁ…。

 

せいぜい、2本とか3本くらいの分かれ道なら、選びようもあるけどさ、200本となると、選びようがないじゃないですか。

「えぇっ…💦」って困惑しちゃうじゃないですか。

結局もう、根拠もなく、適当に「じゃこれでいいや」って選ぶ感じにならざるを得ないじゃないですか。

 

・・・・・・・・・

 

そういうことです。

 

 

今、この瞬間、生きるのがしんどい若者のみなさんに言いたい。「…粘れ!」と。

私も、昔は

「生きるのがしんどい若者」

だったんですけど、

なんだかんだ、粘っているうちに

「生きるのが楽なおじさん」

へと変貌を遂げておりました。

 

別に、進歩したわけではありませんよ。

私という個体がグレードアップしたわけではありません。

 

ただ単に、死ななかっただけです。

粘っていただけです。

 

時がすべてを解決してくれた、といっても過言ではないかもしれません。

 

若い頃は、年取った自分の姿なんて全然、想像できなかったんですけどね~。

年取る前に、絶命してるような気がして。

 

それが、いつの間にか、すっかり、人生のベテランですよ。

中身は子供のまま。

少年の知能を持ったまま、心だけ薄汚い大人になってしまったピーターパンです。

 

粘っていたら

ネバーランドの住人になっていました。

 

ネバっていたら

粘ーランドに。

 

どうですか、これ。

 

これですよ、歳をとるってのは、こういうことです。

恐ろしいことです。

 

 

若い頃は、得体の知れないプレッシャーと戦いながら生きていたように思う。アレは一体なんだったのか

「もっと頑張らなきゃ」

って思ってたでしょ?

 

「もっと良い成績をおさめなきゃ!」

 

「もっと外見を磨かなきゃ!」

 

「もっと内面を磨かなきゃ!」

 

「もっと金持ちにならなきゃ!」

 

「もっと良い人生を歩まなきゃ!」

 

・・・・・・・・・

 

なんだったんすかねぇ…。

 

なんであんなに、自分にプレッシャーをかけてたんでしょうかねぇ…。

 

なんであんなに、強迫観念に苛まれながら生きてたんでしょうかねぇ…。

 

でも、ジジイになると、そういうのから結構、解放されちゃいます。

ありがたいことです。

 

 

あ、ちなみにね、私も若いころは、趣味がウィンドーショッピングっていうくらいの、オシャレ大好きっ子さんだったんですけどね、ずっと不思議だったんすよね。

「どうしておじさんって、変な服(ダサい服)着てんのかな?」って。

革靴とかも、意味不明な、変なワンポイントの付いたスリッポンタイプだったり、

ベルトとかも、変なデカいバックル付いてたり。

基本、上下、ゴルフウェアみたいな恰好だったりとか。

なんでおじさんって、変な服着るんだろうな?変なファッションセンスになるんだろうな?って不思議だったんです。

 

でも、今、自分がゴリゴリのおじさんになってみて、ようやく分かりましたよ。

ゴリゴリの「変なおじさん」になった今、心底、理解できました。

 

オジサンを代表して、言わせてもらいます。

「服装?そんなこたぁ、どうだっていいんだよ」

って感覚なんすよね。

 

長く生きてると分かってくるんです。

 

人生には、服装なんかよりも、もっともっと、重要な事柄があるんだって。

服装よりも気にかけなきゃならないコンテンツが山のようにあるんだって。

家のローンとか、

週末の接待ゴルフとか、

息子の反抗期とか、

娘の援助交際とか、

妻の浮気とか、

・・・・・・

ん?

なんかネガティブな案件を中心にピックアップしてしまいました。

 

とにかくね、けっこう、

長い人生において、

どうでもいいことはどうでもいいんすよね。

当たり前と言っちゃ当たり前ですが。

 

結局、多少の外見の良し悪しよりも、大事なことっていっぱいあるわけですよ。

もっと言っちゃうと、

実は、外見がパッとしてないのに、中身が素晴らしい人物って、山のように存在しているんすよね。

そういう現実を知ってしまうと、

「外見で人を判断していた今までの自分はなんて浅かったんだ…」

っていう気持ちにもなりますしね、

人を見る時に、もっともっとその人の内面に注視するようになりますよね。

 

そして、他人を外見だけで判断しなくなった時、

もはや、自分の外見も、結構どうでもよくなっちゃうわけです。

おそらく、そういうことなんじゃないかと思います。

 

あれっ?こういう話を書きたかったんだっけ?

な~んか、脱線してるような気がするなぁ~。

(でも最初の予定を思い出せない)

 

 

こういう話でよかったのかどうか思い出せないけど、まぁ別にイイか。気楽に、適当にまいりましょう

最近はホント、物忘れが激しくて激しくて。

 

自分が何を書こうとしていたのか、全然、思い出せない。

書いてるうちに、迷子になります。

 

これぞ、個人ブログの醍醐味。

 

(・・・一時中断・・・)

 

ま、とにかくね、「今、生きるのがつらい」って人に対して私が言えるのは、

「粘ってるうちに何とかなる未来」ってのも、ないことはないんだぜ、ってことです。

 

まぁねぇ、もしも自分が若い頃に、こんな話されても、絶対に、まったく、ピンとこなかったとは思うけどね…。

 

私の場合、若い頃は20年くらい、真っ暗闇のトンネルを彷徨っていたような人生でしたけど、その時に誰かに

「あと20年、耐え続ければ、光が見えてくるかもよ」

って言われたとしても、

それで生きる意欲が湧くとは思えないし。

 

結局、暗黒時代の20年間、お茶を濁しつつ、だましだまし、粘って生きていたから、今、こうして、こんな話を書けてるっていうだけでさ。

 

でもホント、時間が解決してくれたっていうか、粘っているうちに、いろんなものが削ぎ落とされて、身軽になって、生きやすくなった、ってのは確かにありますんでね、このエントリーが、しんどい誰かの心に届くかどうかは分からんけど、それでも、やっぱ、こう言うしかないんよね、私は。

粘れ。

粘りなされ。

 

別にね、歯を食いしばって頑張らなくてもいいんよ。

真っ向勝負を挑む必要もないんよ。

正々堂々と戦う必要もないんよ。

 

なんとな~く生きりゃいいんよ。

誤魔化したり、フワッとした感じで、時間稼げばいいんよ。

そのうち、年寄りになるから、

そうすりゃ、ちょっと生きやすくなるから。

 

共に、ただ何となく生きようぜ。

 

 

gattolibero.hatenablog.com

 

gattolibero.hatenablog.com

 

gattolibero.hatenablog.com