【もののけ姫】なぜシシ神がアシタカを助けたのか分かった(気がする)

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昨日「もののけ姫」を観ていて、ピンと来ました。

何故、石火矢で撃たれて瀕死のアシタカを、シシ神は助けたのか?(傷を治癒)

私は今まで、生かすも殺すも、命を与えるも奪うも、いわば、シシ神の「気まぐれ」なんだろうなぁと漠然と解釈していたんですが、どうやら、そうじゃないような…。

 

はじめに。事前のインフォメーション

このへんの考察って、もしかするとジブリファン(もののけ姫ファン)の間では、とっくに語りつくされている話なのかも知れませんし、すでに「明確な答え」が出ているのかも知れません。(例えば宮崎駿監督のインタビューなどで)

そんなわけで。

この記事はあくまでも、私個人の勝手な妄想&見解でございます。あらかじめご了承くださいネ。

では早速、本題に入りましょう。

 

 

私は今まで、シシ神様は、特に理由もなく、命を奪ったり、命を授けたりするような、「気まぐれ」な存在なんだろうと思っておりました。

な~んかさ~、

簡単に、樹木を枯らしたりするじゃないですか。

あるいは、

簡単に、にょきにょきと芽が出てきたり。(しかも大量)

 

「ちゃんと、根拠があるのかな?」

って、ちょっと疑問だったわけです。

「理由があって、命を奪ったり与えたりしてるのかな?」

って、半信半疑だったわけです、私は。

 

んで、結果、

「きっとシシ神は、とくに何も考えてないんじゃないか?」

って勝手に解釈しておりました。

 

なんというか「その日の気分」というか、なんとなく「その場のノリ」とかね、そんな軽~い感じで、命を取り扱っていたんじゃないかと。

勝手に、そんなふうに思いこんでおりました。

 

ぶっちゃけ、言ってしまえば、

「殺す理由?特にないよ」

くらいな感じの時さえ、あるんじゃないかと。

 

ある意味、シシ神サイコパス説。

 

 

あるいはもっと、シンプルなものだったかも知れません。野生動物の営みのような。

例えば、ライオンがシマウマを狩る時、そこには悪意も善意もないですよね。

 

ライオンは、シマウマのことが憎いから、襲うわけではない。

意地悪するために追いかけているわけではない。

腹が立ったからシマウマを殺すわけではない。

 

そこには、悪意はないんですよね。

「良い感情」も「悪い感情」も、きっと無い。

 

おそらく、逃げる方も追う方も、非常に淡々としてるんじゃないかと思います。

淡々と、やるべきことをこなしているような感覚なんじゃないかと。

 

しかし。

 

それを横目で見ていた人間様は、勝手に自分たちの価値観に当てはめて

「ライオンに食われたシマウマが可哀そう」

とか、余計な感情をトッピングして、被害者に仕立て上げたり、加害者に仕立て上げたり。

善だとか、悪だとかの概念を持ち出して、ライオンやシマウマを裁こうとする。

 

ライオンよりも、ワニとかヘビだと、余計に顕著ですよね。

大体、悪者役にされてしまったりして。

でも本当は、みんな同じだと思うんだよね。

みんな「悪意」も「善意」も持っていない。

 

ただ自分がやるべきことを淡々と粛々とこなしているだけでさ。

それって何だ?っていったら「生きる」ってことなんだろうけどさ。

本当は、いたってシンプル。

人間様が勝手に難しく、複雑にしているだけなのかも知れない。

 

ライオンだって、ワニだって、ヘビだって、オケラだって、アメンボだって、動物も昆虫も、み~んな「悪意」なんて持ってないと思うんよね。

 

人間だけなんじゃない?

悪意を持って他者と接するのは。

 

話が豪快に脱線してしまいましたので、話を戻すことにしましょう。

 

ようするに、

シシ神の行う、命に関するアレコレも、何かこう、ものすごくシンプルな、なんらかの法則にのっとって、粛々と、淡々と行われているだけなんだけど、そこに人間たちが、自分たちにも理解できそうな「理由付け」をしようとしてるってことなのかもなぁ…とか。

そういうふうに思ったりもしていたわけなんですが。

 

今回、ピカッとね、脳内で電球が点灯したわけですよ。

シシ神が、出血多量で瀕死のアシタカの傷を治した理由。

 

 

何故、あの場面で、シシ神はアシタカを生かしたのか?殺さなかったのか?

ピンと来た。

 

あれはシシ神の「気まぐれ」なんかじゃなさそうだぞ、と。

 

明確な意志を持って、アシタカに「生きろ」というメッセージを送ったんじゃないかと。

 

じゃあそれって、温情とか、情けとか、思いやりとか、善意とか、そういう何か素敵っぽい感情から来るものだったのか?っていうと、全然、そうじゃなくて。

 

シシ神は、あの場面、

本来ならばタタリ神の呪いで死ぬはずの運命を、アシタカ自身に受け入れさせようとしたんじゃないかと。

 

あの場面、アシタカは、出血多量で意識もなかった。

あのままでは、特に苦しむこともなく、恐怖を感じることもなく、そのまま眠るようにして、安らかに死ぬことができた。

 

しかし、シシ神は、そんな「安らかな死」をアシタカに与えるつもりはなかった、ということなんだと思うんだよね。

 

あえて、苦しめと。

タタリ神の呪いで死ね、と。

 

骨まで達する呪いのアザが全身に広がっていく中、死の恐怖を味わえと。

怒りと悲しみと苦しみと絶望の中、全身の肉が腐って死ぬのがお前の運命なのだ、と。

 

そのために、シシ神はアシタカを生かしたのではないかと。

 

運命を受け入れろと。

 

その証拠に、シシ神は、石火矢に撃たれたアシタカの体の傷は完璧に治してくれたにも関わらず、右腕の呪いに関しては、ガン無視。完全にスルーした。おそらく偶然じゃなく意図的に。

呪いを解いてしまっては意味がないのだ。

そして、

右腕の呪いが解かれていないことに気づいたアシタカは、その瞬間、シシ神の本意を直感で理解した。だから、泣いた。

 

そう考えると、シシ神がアシタカを助けたのは、温情とか思いやりではなく、むしろ残酷な行為とさえ言える。

 

・・・・・・・・・

 

ちなみにこれ「デスノート」のトリックにも、通ずるような部分もありますね。

 

例えば、デスノートに「23日後に死ぬ」って書かれた者は、23日以内に死ぬことは無い、みたいなルールがありましたよね?

デスノートが効力を発揮していれば、死ぬのは23日後じゃなければならない。

だから「明日、交通事故で死ぬ」みたいなことは絶対に起こらない、みたいな。

23日後には死んじゃうけど、逆に言うと23日間は無敵、みたいな。

 

 

「タタリ神の呪いで死ぬ」というアシタカの運命を尊重し、優先するためには、こんなところで早々に出血多量ごときで死なれちゃ困るんですよね。

だからシシ神は、アシタカを生かした。

身体の傷は治し、そして、呪いは解かなかった。

どうですか、この考察。

 

 

乙事主(おっことぬし)のケースも、同様のことが言えるのではないか。

巨大なイノシシみたいな乙事主(おっことぬし)も、タタリ神になりかけている状態で、シシ神のもとを訪れるシーンがありますね。

 

シシ神に何とかしてもらおうと、祈るような気持ちで、藁にもすがるような思いで、シシ神の森へ向かいます。(憶測)

 

そしていざ、乙事主とシシ神が対面した時、どうなったか。

 

シシ神は、乙事主の、命を、躊躇なく、奪った!

 

「生が良いことで、死が悪いこと」みたいな短絡的な考え方だと、

「シシ神、てめぇ、恩をあだで返しやがったな!」

って話になるじゃないですか。

「今まで何百年も森を守ってきた乙事主を助けるどころか殺すなんて!」

って。

 

「シシ神って、なんて残酷なんだ!」

って一見、思ってしまいがちじゃないですか。

 

でも、違うんだな~。

これはねぇ、シシ神の温情なんですよ。

 

シシ神は、乙事主に感謝している。

ありがとうの気持ちでいっぱいです。

だから、殺してあげたんですよ。

 

その証拠に、最後の、乙事主の安らかな目。

 

 

あの場面、乙事主の命の行き場として、選択肢は2つあった。

 

ひとつは、

タタリ神となって、怒りや憎しみを抱えて生きながらえること。

そしてもうひとつは、

タタリ神になる前に、安らかな死を迎えること。

 

どっちが、乙事主にとって、酷だったか。

生きることか。死ぬことか。

 

シシ神は、乙事主に特別な思いを抱いていたからこそ、あの場面で「命」を与えずに「安らかな死」を与えたんだと思います。

 

決してシシ神が残酷だから、乙事主の「命」を奪ったわけじゃない。

むしろ、その逆、

シシ神が、思いやりの気持ちから「死」を与えたんじゃないかと。

 

どうでしょう。

私の中では、この考え方が非常にしっくり行ったんですが。

 

 

シシ神は、なぜアシタカを生かしたか?なぜ乙事主を生かさなかった?いかがでしたでしょうか

「生きることは良いこと、死ぬことは悪いこと」

みたいに短絡的に考えちゃうと、シシ神の行為についても、真意が見えにくくなっていくんじゃないかと思いますね。

 

もっと言えば、「生」も「死」も、シシ神にとっては、同じことなのかも知れません。

良いも悪いもないのかも知れません。

 

もう一回、おさらいしておくと、

 

シシ神はあの場面、

「アシタカの運命」を尊重するために、生かした。

すなわち、

「タタリ神の呪いによって、怒りと悲しみの中、恐怖と絶望の中、全身の肉が腐って死ぬという運命」を、アシタカから奪わないことにした。

それが良いとか悪いとかではなく、人間が好きだからとか、情けをかけるとか、そんな理由でもなく。

 

そして、乙事主を生かさなかったのは、むしろ、温情や、感謝の気持ちから、だったのではないか。

今まで森を守ってくれた乙事主に

「タタリ神となって怒りと悲しみを抱えて暴走し、さらなる不幸をまき散らしながら生きながらえる運命」は、あまりにも酷だと。

そういう思いから、運命に逆らってでも「命」よりも「安らかな死」を与えたのではないかと。

乙事主のことを思っての決断だったのではないかと。

 

・・・・・・・・・

 

そんなことを、思いました。

 

来週の放送は「紅の豚」ですか。

また、心して視聴したいと思います('◇')ゞ!

 

ありがとう、ジブリ!

 

 

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