「女を容姿と年齢で差別するな!」と主張したら、周りに誰も味方がいなくて、議論にもならなかった。悲しい…。
っていう話なんですけどね、ちょっと言及させていただきます。
「今日はブログに書くネタがなかったんだろ?」とか、そういう決定的な指摘はご遠慮ください。
ブックマークが500個以上も付いてる…。何事か!?と大急ぎで駆けつけたら、かなり叩かれていた。
こちらの記事ですね。
Yahoo!ニュースの。
「女を容姿と年齢で差別するな!」と主張した30代女性に投げかけられた、友人たちの反応とは(telling,) - Yahoo!ニュース
んで、元記事はコチラ。
「女を容姿と年齢で差別するな!」と主張したら、誰も味方がいなかった話:telling,(テリング)
一応、両方のリンクを載せておきました。事情はこちらの過去記事に。
ざっと読んでみたんですが、なかなか香ばしいというか、確かにツッコミどころはあるものの、ここまで徹底してボコられるほど、マズいこと言ってるとも思えず…。
「擁護する」、とか、「オレが何とかする!」とか、そんな善良な市民的な発想はございませんが、なんとなくね、ちょっとソフトに言及してみたくなった次第です。
本当のことを言うと、今日はブログに書くネタがなかったのが、一番の要因かも知れません。
まぁ、このブログは、そもそも、「コタツでみかんを食いながら駄弁る」というイメージで運営しておりますので、記事の内容には、高尚さも大義名分もございません。
あらかじめご了承ください。
さて、本題に入りましょう。
『「女を容姿と年齢で差別するな!」と主張したら、誰も味方がいなかった話』を読んで
telling,編集部のいぬい(35)です。先日取材した「キャリ婚」が、友人との話題で出てきた時の話です。最後に出てきたのは優等生みたいな教訓で、我ながらなんだか小賢しさを感じるけど、優しい世の中になるといいなと思いを込めてコラムに思いを綴らせてもらいました。
これ、なんか切ないっすね~~。
「優しい世の中になるといいな」という思いを込めて書いたのに、めっちゃ袋叩きにあっているという。
真逆。
真逆の効果。
「優しい世の中」を思い描きつつ、「世の中の厳しさ」を思い知らされるという、なんですかね、このシステム。
笑っちゃダメなのかも知れませんけど、ちょっと笑いの要素、混入してきてませんか。
もしかすると、炎上商法なのかも知れませんし、そうであるなら、大成功っちゃ大成功か。まぁよく分かりません。
とにかくそろそろ、本題に入りますわ。
久々に会った友人たち4人(男2人・女2人)と婚活の話題になったので、「最近キャリ婚ってサービスの取材に行ってさ~」という話をした。キャリ婚は女性主導で男性を選ぶという趣旨で運営されている、働く女性をメインターゲットとした婚活サイトだ。
のっけから、不穏な空気。
「女性主導で男性を選ぶ婚活サイト」
というパワーワードが炸裂。
う~~む…。
なんだろうね~。
理由は上手く説明できないけどモヤッとするね~~。
逆に「当サイトは、男性主導で女性を選ぶというコンセプトです」って婚活サイトがあったら、めっちゃ某界隈の方々に叩かれそうですけどね。そんなこともないのかな。大丈夫なのかな。
そしたら、その場にいた男友達1が、なんとキャリ婚を使ったことがあると!
略
私は嬉しさでワクワクしながら質問した。
「で、どうだった?マッチングした?」
すると、こんな答えが返ってきた。
「マッチングしたのが、40代の太めのおばさんで、結局会わなかったわ」……ん?あれ?なんかおかしいぞ?と思った瞬間に、なんだか怒りがこみ上げてきて、私の口をついたのはこんなセリフ。
「うっわ!容姿と年齢で女のことを差別するんだ……」
知人男性
「マッチングしたのが、40代の太めのおばさんで、結局会わなかったわ」
女性ライターさん(編集部のいぬい氏)
「うっわ!容姿と年齢で女のことを差別するんだ……」
う~~ん……。
・・・・・・・・・
う~~ん……。
・・・・・・・・・
ルックスで結婚相手を選ぶ人は差別主義者なのか?
年齢を考慮に入れちゃイカンのか?
う~~む…よく分からん。
個人的な事を言うと、私は「人間は外見よりも中身が大事」派ですが、でもね、ぶっちゃけて言うと、
普通、一般の人々って「中身も大事だし、外見も大事」ですよね。
どっちも大事なんですよ。それが当たり前よ。
「年齢不問、外見不問じゃなければ、その人は差別主義者だ」みたいな発想は、ちょっと飛躍しすぎてんじゃないかと。
付き合いの長い男友達1と女友達1は「ほんと、いぬいちゃん変わったわ。昔だったらそんなに怒らなかったよ絶対」と言った。
確かに私は変わったかもしれないけど、そんな風に言われるのは正直ショックだった。
付き合いの長い友達から「ほんと、いぬいちゃん変わったわ。昔だったらそんなに怒らなかったよ絶対」と言われた、と。
そして、「確かに私は変わったかもしれない」と自覚もある、と。
ようするに、ちょっと前までは、ご自身も、そっち側の人間だったわけじゃないですか。
それが、何か意識高い系?の人々と関わるような仕事をしているうちに、自分の中の価値観が変化して、その結果、古くからの友達の価値観とは合わなくなった、と。
そういうことじゃないですか。
それだけのことじゃないですか。
「私は変わったんだ。もう、お前らとは違う価値観で生きてんだ」
ってことでしょう。
それ自体は、何も、悲観すべきことでもないし、何か間違えたわけじゃない。
わざわざショック受けなくても大丈夫だと思うんですよね。よくある話よ。
人間、生きてれば、価値観なんてコロコロ変わるし、付き合う友だちも変わるのが当たり前じゃないですか。
童貞の頃は、童貞同士でつるんで、ゲームやったりしてたのに、彼女ができたら、デート最優先で、童貞フレンズはそっちのけ、とか、よくある話じゃないですか。
環境が変われば、意識も変わって、付き合う人間も変わるってのは、めちゃくちゃ当たり前なことだし、ちっともネガティブに思う必要、無いと思うんですよね。
結婚すると、独身の頃の友達と疎遠になるとか、
子どもができてからの付き合いがママ友中心になるとか、そういうの、けっこう当たり前だと思うんですよね。
だから、昔からの友人に、「お前、変わったな」って言われても、別に、ショック受ける必要ないしね、「あぁ、もう住んでる世界が違うんだな」って心の中で思って、しずかにフェードアウトするかのように、徐々に距離をとればいいだけのことでさ。
話題が変わっても、私はモヤモヤしていた。
孤立したのが悲しかったのだろうか。
いや、違う。
多分、議論できなかったのが悲しかったのだ。
なんでわざわざ、
「議論しようぜ!お前らの考え方、たぶん間違えてるから、私の意見の方が正しいから、今からその説明をするよ!」
みたいなことしようとするんだろうか。
「生まれ変わった、新しい価値観を身に付けた自分」が、「相変わらずの旧友たち」を議論でねじ伏せる必要、全然なくね?
なんで、結論として
「議論できなくて悲しい」
になっちゃうのかな。
今回、議論が成立しなかったのは、私が思ったことをあまりにもダイレクトに言ってしまったからかもしれない。
宗教の違いとか、政治信条の違いとか、そういう根本からわかり合えない要因を抱えた人同士の不毛な議論が始まる予感が、あの場にはあった。
いいのよ別に。
「議論で分からせよう」って思わなくても。
今回は、新しい視点を知るきっかけだったのに、そのチャンスを逃してしまった。
とっさに「差別だ」と強い言葉を使ってしまったのが、今回私の反省すべき点だろう。
もっと柔らかく会話をしないと、多様な視点を知ることはできないんだなと学べて、いい経験になった。
「今回の件は、議論によって新しい視点を知る良いチャンスだったのに…」みたいな言い方も、なんだろうな、一歩間違えば、変な新興宗教の押し売りみたいになっちゃうよなぁ。
「新しい視点を得るチャンスだったのに」って言ってるけど、
本当は、本心では、
「古い友人たちに新しい視点を与えるチャンスだったのに」ってことだと思うんだよね。
以前の自分は、友人たちと似たような価値観だった。
しかし、自分は変わった。変わってしまった。
今では、友人のことを差別主義者だ、と感じる。
友人と議論したい。
(友人に気づいてほしい。あなた、間違えてますよ…。)
みたいな。
心の中でそういう動きがあった、ってことだと思うんだよね。憶測だけどさ。
だからね、ぶっちゃけた話、この、ライターのいぬいさんはさ、悲しむことないと思うのよね。
ただ単に、「あぁ、もう昔の友達とは話が合わないんだな」って思って、ちょっと距離を置けばいいのよ。
議論して、こっち側の価値観を理解させようとか、そういうの要らないんじゃないかな。
あたらしく出会った、意識高い系の方々と、新しい人間関係を作っていけばいいんだと思うよ。
「議論できなかったことが悲しいのだ」
っていうのも、分かるっちゃ分かるけれども、なんかこう、上を見すぎてる気がすんのよね。
ご自身も気づいてますよね。
最後に出てきたのは優等生みたいな教訓で、我ながらなんだか小賢しさを感じる
って書いてますから。
小賢しいんですよ。
本当はもっと、庶民的で、どうでもいい話のような気がすんのよね、根本的には。
あ、でも、そういう斬り方だと、Yahoo!ニュースには載せてもらえないのか。
・・・・・・・・・
どうして、私のブログが、Yahoo!ニュースに取り上げられないのか、今、分かったような気がします。
(ブーメラン)
「人の外見」についての考察いろいろ
あと「そもそも婚活なんてしない方がいいぜ」って話。モテない人、必読。