生きるのがつらい時は保護猫カフェへ行って癒されてみよう

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ネコはイイよ~。癒されます。

平然と、淡々と、気まぐれに、まったり生きる。

イイ感じの場所を見つけてゴロゴロする。

何者にも媚びない(しかしご飯をもらう時は豪快に媚びる)

 

保護猫カフェって、親を失った「みなしご」たちの施設というか…人間で言うところの孤児院みたいな場所じゃないかな

保護猫カフェっつ~のは、何らかの理由で飼い主を失った猫たちが、カフェの店員(癒し要員?)として働いているわけです。

 

分かりやすく例えるなら、保護猫カフェって、いわば「猫たちの孤児院」みたいな場所だと思うんですよね。

 

人間界で「孤児院」を訪れて、孤児たちと触れ合うことを想像してみると、それってなかなかハードルの高いミッションじゃないですか。

でも、ネコカフェをある意味、猫たちの孤児院だと考えれば、

ネコカフェ訪問って、変に気構えなくてもいい社会貢献、と捉えることもできるんじゃないかと。

 

保護猫カフェでお茶を飲めば、その売上金が、保護猫たちの給料(ご飯代)になったりトイレのネコ砂になったりするわけですよ。

お金の使い方としては非常に有意義だと思うんすよね~。

 

たしか瀬戸内寂聴さんも言ってましたよ。

「犬や猫に愛情を注ぐのも、イイことよ」みたいな。

 

家族と疎遠だったり、ともだちがいなかったり、彼氏彼女がいなかったり、何らかの孤独を抱えているんなら、保護ネコカフェへ行って、猫たちに愛情を注げばいいんじゃないでしょうかね。

保護猫たちは、きっと、何も言わず、ただあなたの孤独を癒してくれるでしょう。

言葉なんて要らないのです。

猫たちは大事なことを教えてくれるのです。

 

 

保護猫たちだって、何らかの事情を抱えて保護ネコカフェにやってきたんです。

虐待されたり、捨てられたり、悲しい過去を背負っているネコちゃんたちもいるのです。

でもね、そんな彼らの、健気に生きる姿を見ているとね、なんかいろいろ思うわけですよ。気づかされるわけですよ。

結局、こっちのほうが、猫たちからエナジーもらっちゃうわけですよ。

 

何がスゴイかって、彼らは全然、愚痴とか言わないもんな。

ぐちぐちぐちぐち、自分の過去を呪って、泣き言ばかり言うような真似はしない。

大事なのは「今」ですよって教えてくれる。

 

メチャクチャしんどい過去を背負っていても、割と平然と、ケロッと無表情っていうか。

淡々と生きてるようにみえる。

達観したような顔つきでさ。

なんかすごく勉強になる。

そうか、こういう風に生きればいいのか、って気づかされる。

 

 

このブログの読者で、生きづらさを抱えている人で、いまだに保護猫カフェに行ったことが無い人はいないかもしれない。

でもね、もしもまだ保護猫カフェに行ったことが無いのなら、是非、足を運んでもらいたいですね。

 

なんというかな~、「偉いお坊さん」みたいなもんですよ、ネコっつ~のは。

 

「馬鹿と天才は紙一重」じゃないけどさ、

めちゃくちゃ考えて努力して修行した坊さんと、ただ生きているネコって、一周まわって、ほぼ同じ地点に辿り着いているような気がするんよね。

冗談とかじゃなくてホントに。

ネコから学ぶことは多いです。

 

 

以前「男一人だとネコカフェに入りづらいです…」という意見をもらった。なるほど、確かに。

ネコカフェに行くと確かに、カップルとか、女性同士とかのお客さんが多いですね。

でもね、

女性一人のお客さんもけっこう見かけるんですよね。

だから「ひとりでネコカフェに入るのは気が引ける…」みたいな心配は不要です。

堂々と、平然と、ネコカフェの門を叩けばよろしい。

 

そもそも、ネコ大好きな人々がネコカフェに通うわけで、そうすると、割となんというか、「我が道を行く」っていう人が多いような気がするんですよね。

ある意味では「ネコ的」というか。

「ネコ派」というか。

 

ネコカフェに行く人って「集団じゃないと何もできない」っていう雑魚タイプの人、少ないんじゃないかと。

 

「ひとり飯が怖い」とか「ひとりカラオケが恥ずかしい」とか、他人の目を気にして自由に生きられない人たちには「まずネコカフェに行け」といいたいですね。

そして「猫たちを見ろ!猫たちから学べ!」といいたいね。

「猫のように自由に生きろ!」ってね。

 

まぁとにかくね、ネコカフェに入り浸ってる人たちって、野郎がひとりでネコカフェに乗り込んできたとしても、別に気にしないと思うんすよね。

「うわ…あの人、男一人でネコカフェだってさ…」って陰でコソコソ言われることも無いでしょう。

良く言えば、他人に干渉しない。

悪く言えば「眼中にない」んですよ。

 

だから「男ひとりでネコカフェに入るのは恥ずかしい…」って、とんだ取り越し苦労ですよ、って話なんすよね。

 

あ、あとね、血統書付き?のシュッとした高そうな猫ばかりそろえたネコカフェは、あんまりオススメしません。

外見重視、上っ面重視で、見栄えの良いホステス(ホスト)ばかり集めた店みたいなもんでね。

そういう店には、そういうのが好きな客が集まりますから。

オシャレとか「映え」を極度に気にするカップルとか、ブランド大好きなウェ―イな奴らがたむろってる可能性ありますんで。

そういうお店には、男性がひとりで入店するのはツラいかも知れません。

 

それよりも。

確実に、

保護猫カフェをオススメします。

(あくまでも個人的な意見です)

 

どうせお金を落とすんなら、保護猫カフェで落としておくんなせぇ。

(あくまでも個人的な意見です)

 

「金儲け目的のブランドネコカフェ」よりも

「身寄りのない孤児たちの保護ネコカフェ」をオススメします。

(あくまでも個人的な意見です)

 

人生(猫生)のワビサビを知り尽くした、保護猫たちが出迎えてくれますから。

見栄えだけじゃなくてね、中身も大事。

深い悲しみを乗り越えた保護猫たちの表情をごらんなさいよ。

本当の癒しって何なのか?

生きるって何なのか?

あらためて考える機会を与えてくれます。

(あくまでも個人的な意見です)

 

あとね、保護猫カフェの方が、客層が慈悲深いんじゃないかと思います。

菩薩みたいな客が多い印象。

(あくまでも個人的な意見です)

 


猫も老人も、役立たずでけっこう NHK ネコメンタリー 猫も、杓子も。

 


岩合光昭 写真集 「自由ネコ」