いや~、よかった!貧乏人で!
ぶっちゃけ、何食っても「美味い」んだよね~。
ホントに、何食っても「うめー!」ってなる。
幼少期からイイものばっかり食ってた人の中には、一般的な食事じゃ満足できない人もいるらしいけど、それって、一周まわって…逆に不幸じゃね?
「何を食べても美味しい。感動!」こんなしあわせ、あるかっつーの!ビバ!貧乏!
例えばさ、ものすごい金持ちの家に生まれてさ。
毎日毎日、高級食材ばっかり食って育ってさ。
そうやって、舌が肥えて肥えて、肥えまくっちゃった場合、それってむしろ、悲劇なんじゃないか?って気がするんだよね~。
舌が貴族並みに発達してしまうと、味に対するハードルが高くなりすぎて、通常の食事が「合格点」を超えてこない。
そうすると、人生の中で「わー!この料理おいしい!」って感動する回数が少なくなるわけでしょ。
例えば、職場の同僚が旅行から帰ってきて、お土産のお菓子を配っていたとしましょうか。
「ひよこ」とか「やつはし」とか。まぁ何でもいいや。
職場のみんなでお菓子を分けて「さぁ食べましょう」って時にさ、みんなは美味い美味いって言いながら食ってるのに、舌が貴族の人はひとりだけ(これ、美味しくないな…)って思いながら食わなくちゃダメだとしたら…?
これ、悲劇ですよね。人生、損してるような気がするんだけど、どうなんだろうか。
こんな話を見かけたんですけどね。
内容をざっくり解説するとですね、
産まれてから一度も「牛丼」を食ったことが無い、という人(舌が貴族系)に、ドヤ顔で牛丼を奢ってあげたんだってさ。
「えっ!あんな美味いもん食ったことないんすか!だったら食ってみてくださいよ!おごりますんで!」
みたいな感じで。
おそらく、生まれて初めて牛丼を食った人(舌貴族)が、
「うわっ!めっちゃうめー!感動!」
っていうリアクションをとると思ってたんだろうね。
ところがだ。
ふたくち食べた後に
「気持ちはありがとう。先に外で待ってる」
って言い残して、舌貴族は、店を出ていっちゃったんだって。
・・・・・・・・・
キッツイな…。
その牛丼を食ったことが無い人は「舌が貴族」だったんでしょうね。
「舌貴族」。
舌貴族の心の声。
(これが牛丼か…ゲロマズだな!こんなもん食えるか!)
う~~む…。
これねぇ、やっぱ悲劇ですよ。
そういえば、ヒカキンがテレビでこんな話をしていた。2万円の寿司の話。
うろ覚えなんですけどね、テレビのバラエティ番組に出演していたユーチューバーのヒカキンが、こんな話をしてました。
YouTube動画で人気者になったヒカキンは、今ではすっかり大金持ちなんでね、カネに糸目をつけずに、何でも食えるようになったわけよ。
んで、ある時、有名な高級寿司屋に行ったんだってさ。
それで生まれて初めて「2万円の寿司」を食ったんだって。
そしたら、案の定というか、メッチャクチャ美味かったんだってさ。
「さすが!2万円の価値あるな!」
って思ったんだって。その時は。
ところが。
ところがですよ。
次にもう一回、その寿司屋に行った時にさ。
2万円の寿司を食っても、2万円分の感動が無かったんだって。
それでヒカキン、あれっ?ってなって。
「これ…1万円分の感動だなぁ…」
みたいな。
初めて食べた前回と同じほど、美味しいとは感じなかったんだってさ。
その場にいた学者?だか専門家だかは「そういうものです」って言ってたよ。
人間は「慣れちゃう」んだってさ。
どう?この話。
こうなると、悲劇じゃね?
1回目は、2万円払って、ちゃんと2万円分の美味しい寿司を味わった。
ところが、
2回目は、同じ2万円を払ったのに実感としては「1万円程度の価値の寿司」を食ってる。
おそらく、3回目、4回目、何度も通ううちに、その寿司の価値は体感的にはもっと下がる。
毎回、ちゃんと2万円払ってるのに。
・・・・・・
これ、悲劇以外の何ものでもない。
「2万円払ってるのに2万円相当のリターンが無い」と感じているなら、これは悲劇だ。
例えば、
「コアラのマーチ」を100円で購入し食う。美味い。100円でこの味なら大満足だ、という場合。
もしも、コアラのマーチの味自体は変わらないけど、次に買う時は値上がりして200円だったら?
そして3回目に購入する時は300円だったら、どうだろうか。
これはちょっと、腑に落ちないというか、納得できないんじゃないだろうか。
「その値段に見合うだけの美味さかどうか?」
という視点から考えれば「ヒカキンの2万円寿司エピソード」も「コアラのマーチ実験」と同様の、救いの無さを抱えていると思う。
ヒカキンのケースを見る限りでは、
「食に関しては、人は金持ちになればなるほど、より幸せになるとは限らない」
と言えるのではないだろうか。
「美味しいものを食べた時の感動」と「金持ちか否か」は、直接的には関係が無いのかも知れないね。
「グレートジャーニー」で有名な探検家・関野吉晴氏のエピソードにも触れておこう。
アフリカで誕生した最初の人類は、長い時を経て、地球上のあらゆる土地へと拡散していった。
その果てしない道のりを逆方向に「人力のみ」で移動しようという試みが「グレートジャーニー」だ。
徒歩、ウマ、自転車、カヤック…それらを駆使して、南米最南端から、アフリカ大陸、人類発祥の地を目指す壮大な旅。
ちなみに、TBS系のバラエティ番組で「クレイジージャーニー」ってのがありますが、このタイトルは、関野吉晴の「グレートジャーニー」にあやかって付けられたものです。
関野吉晴が、満を持して「クレイジージャーニー」に登場した時、司会のバナナマン設楽に、こんなことを聞かれていました。
「世界中を旅してきて、一番、美味かった食べ物って何ですか?」
関野はたしか「塩むすび」って答えたんだよね。
「塩味のおにぎり」
これ、どういうことかというと、ある時、関野は、ジャングルを探検する際に「塩」を持って行くのを忘れたことがあるんだって。
「塩」が無い状態で、ジャングルを何日も探検し続けるわけ。
そうすると、身体が「塩分」を求めるんでしょうね。
めちゃめちゃ塩が欲しくなる。
食料自体は摂取していても、塩に関しては飢餓状態。
そんななか、ようやくジャングルを通過して、やっと塩が手に入る。
おそらく、よだれダラダラ状態。
「塩むすび」をガブリ。
死ぬほど美味い。
・・・・・・・・・
そういうことなんですよね。
世界で最もおいしいものは何なのか。
本当に腹が減ってりゃ、何食っても美味いんですよ。
飢えてる状態なら、何食っても、泣くほど美味いんですよ。
これ、グルメを気取ってる成金連中に教えてやりたいですね。
キャビアがどうだとか。フォアグラがどうだとか。
そんなものより、もっと美味いものがあるんだよ、と。
牛丼はマズくて食えないだと?
そりゃ、お前が無駄に、必要以上に与えられている状態だからだ。
サハラ砂漠を三日三晩、さまよって来い。
人生の絶望に晒されろ。三途の川を半分渡れ。
奇跡の生還を果たし、泣きながら味わう牛丼の美味さは、生涯忘れられないことだろう。
本当に美味いものを食いたいなら、まず飢えろ。
グルメ雑誌を読み漁ってる暇があるなら、外、走って来い。
腹ペコになれ!
最後にオマケ。こういう話もある。十分に食べているサルよりも飢えたサルの方が若々しい。
いろいろと説があるらしいので、ホントかどうかは別として、一応、紹介しておきましょう。
2頭のサルの画像。
http://aging.wisc.edu/pdfs/2297.pdf
AとBの画像は、食べたい分だけ餌を与えられた(満腹)サル。
CとDの画像は、満腹サルよりも3割少ないエサしか与えられなかった(腹7分目)サル。
いつも満たされているサルの方が、抜け毛が激しく、皮膚もシワが多い。
それに対して、いつもちょっとだけ飢えている腹7分目サルの方は、眼光鋭く、毛並みもフサフサ。
これ「サーチュイン遺伝子」っていう、長寿に関係のある遺伝子の実験らしい。
元のPDFが英語なんで、よく分かんないんだけど、
「サーチュイン遺伝子 猿」とかで検索すると、日本のブログとかもいろいろ出てくると思います。
とまぁ、こんな感じです。
やっぱ、食に関して言うと、貧乏人の方がしあわせかも知れませんね。
わざわざ、高級料理を食わなくても、めっちゃ腹ペコになれば、感動するほど美味しくご飯を頂けます。
場合によっては、たとえ「塩むすび」だけだったとしてもね。