頑張ったら頑張っただけ見返りがあるわけじゃない。

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いとこがね、死んじゃったみたいで。

詳しいことは全然分からないんだけど、過労が原因とかなんとか。

まだ40代前半ですよ。

なんか理不尽な感じするね~。人生って何なんだろうか…とか思っちゃうなぁ。

 

私自身、全然気持ちの整理がつかない状態で書いております。ご了承ください。

まぁいわゆる、書かなきゃやってられない的な心境なんでね、ちょっと書かせてください。

 

基本的に私は家族とも親戚ともほぼ絶縁状態なんでね、詳しいことは分からんのです。

ってか、私の家族は割と全員、繋がってないんですよね。

各自が各自でやってて、分断されてるというか。

家族って何だ?って話なんですけど。

 

昔から、盆とか正月とか、親族で集まるとか、そういうのもほぼ無かったしね。

繋がりが超薄い。お互いに。全員がソロ活動っていうかな。

その中でも特に私は誰とも繋がっていない、って感じなんだけどさ。

 

一般的な家庭に育った人から見れば、私も「可哀そうな人」なんでしょうねぇ。

私自身にとっては、生まれた時からそういう環境だし、慣れちゃってるんでね、特に自分の運命を呪うとか、親を呪うとか、そういう気持ちもないんだけどさ。

 

そんな感じなんでね、小学生の頃に数回会ったことがある従兄弟の近況とかさ、全然、分からんわけなんすよね。

 

いとこは過労が原因で亡くなった、ということらしいんだけど、それがホントかどうかも確かめようがないんだよね。

まぁ確かめるつもりもないんだけどね。

相手側の家族にだって、きっと言いたくないことあるだろうし。

そもそも、そんなに親密な関係じゃない。

 

 

頑張ったら頑張っただけ見返りがあるわけじゃない。

なんかねぇ~…一生懸命頑張ってたらしいのよ。

介護の仕事をしながら、大学に通ってたらしい。

んで、結果、過労で死んじゃうとか。

 

う~~~ん……。

 

・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・

 

人生って何なんだろうかねぇ~…。

 

 

私みたいに、のらりくらりと、ぐーたら生活してる人間が、のうのうと生きていてさ。

 

いとこは、一生懸命頑張って、結果、死んじゃってさ。まだ若いのに。

 

どういうことなんかね?

 

いや、

早死にすることが悪いとは思ってないんだけどさ。

長生きすることが良いことだとも思ってないし。

 

生きていた時間の長短で、良い人生だとか悪い人生だとか、決めつけることなんてできないとは思うんだけどさ。

 

それにしても……ねぇ…。

 

いとこは頑張っていたわけじゃないですか。

文字通り、死ぬ気で頑張ってたんだと思うんですよ。

んで、死んじゃったんだけどさ。

 

いや、まさか死ぬとは思ってなかっただろうな、本人的には。

 

これ、どうなのよ、って話なんすよね。

本人的には幸せだったんだろうか?とかさ。

ちょっと考えちゃう。

 

気の毒だな~と。

頑張ってたってことは、まだまだやりたいことや、かなえたい夢とか目標とかあったんだろうな~と。

仕事しながら学校に通うなんて、まだまだ学びたいことがあったんだろうな~と。

そんな状態で、いわば、こころざし半ばで、逝ってしまった。

人生って…なんつ~か、理不尽なものだな~と。

 

何が良い人生で、何が悪い人生なのか。

そんなもんは人それぞれだしね、他人の人生に勝手に点数を付けることなんて出来ないってのは思うんだけどさ。

 

でもねぇ~、

「頑張り過ぎた結果、その見返りは死だった」ってのはさぁ、なんか切ないもんがあるよねぇ~…。

 

な~んか、モヤモヤしてますよ、私は。

ほとんど交流なんて無かったとはいえ、顔を知ってるいとこの死。

しかも、過労が原因とかなんとか。

いや~~、モヤッとするね。

 

頑張りたい人に対して「頑張るな」とは言わんけどさ。

 

命と引き換えにしてでも手に入れたい何かがあったんなら、そういう生き方もよかろう。

 

しかし、本人にそういう自覚がなく「当然この先も生きる」という前提で何かに取り組んだ結果の「死」だったとするならば、これはもうね、未練、残りまくりでしょうに…。

 

なんて声をかけてあげればいいのか、分からんよ。

 

 

そういえば昔、山登りが好きな人から聞いた話を思い出した。「山で死ねたら本望」って言ってた。

その人は「K2」っていう山に登るのが夢、って言ってた。

標高8611メートル、エベレストに次ぐ世界で2番目に高い山らしい。

 

「K2の頂上に立った後、下山中に死んでもいい」って言ってたね。

 

「へ~」と思った。

そういうもんなのか、と。

 

「山が死ぬほど好きな男が、山で死ぬ」

ってのは、しあわせな終わり方なのかも知れないな、って思った。

 

もちろん、登山家のみんながみんな、山で死にたいとは思ってないだろうけどさ。

 

でも、自分が好きなことをやってる最中に死ぬってのは、最高の幸せなのかも知れないね。

ましてや、本格的な登山に挑戦する場合は事前に「死」や「命」について深く考える機会があって当たり前だろうから、すでにある種の「心の準備」はできてるだろうし。

 

そうなってくると、どんな生き方、どんな死に方をするにせよ、「心の準備」が大事になってくるってことなのかも知れない。

 

 

前にも書いたけどさ。人生ってのは、「死ぬための準備を整えるために与えられた時間」なんじゃね?

あえて一言で言い切ってしまうと大事なのは「明日死んでも悔いが残らないように今日を生きる」ってことだと思うんだよね、個人的には。

 

頑張りたければ頑張ればいいし、のんびりしたければのんびりすればいい。

死ぬほど頑張って死んじゃうのは不本意だとは思うけどさ、でも「結果、死ぬとしても、それでも頑張りたい」って人もいるだろうしね。

 

大事なのは、自分が納得できているかどうか。

悔いが残らないかどうか。

 

 

私の人生観というか死生観というか。

この1記事で「自由ネコ」まるわかり!

gattolibero.hatenablog.com

 

 

死んじゃったいとこには、「安らかに眠ってください」と声をかけるべきなのかどうなのか。

本人はもしかすると「まだまだ頑張りたい!」と思っているかも知れない。

だとすると、

「天国でも頑張れ!」って応援するのが正解なのかも知れない。

 

・・・・・・・・・

 

何が正解なのか。私の中でまだ答えは出ていない。