私の内側を構成している要素の一つに「道教」的な考え方がある。
道教、老荘思想、タオイズム、まぁいろんな言い方があるんだけれど。
難しいっちゃ難しいんだけど、あえて一言で言うと「無為自然(むいしぜん)」。
実はこれが、鬼のように難しい。
「自然体で生きたい!」という、その考え方自体が不自然というジレンマ。道教(タオ)は近づこうとするほど遠のいていく。
「道教って何よ?宗教なの?」
って思うだろうけど、なんというかな、宗教っていうよりは「考え方」って感じで捉えていいと思う。
たぶん、そのへんは適当でOK。
とにかく、頭でっかちにならない方がいい。
「道教とは何か?」って、あんまり細かいことは気にしない方がいい。
理屈をこねまわしたり、言葉の定義をああだこうだ論じるとか、そういうのが一番「TAO(タオ)」と相性が悪いんだよね。
道教は「そういうのを辞めろ。」っていう考え方だから。
非常に難しい。
散々、色んなことを調べて、考えて、悩んで、結果、何も考えていないバカが最強だという結論。
ピカソの絵みたいだね。
ピカソは若いうちに超絶技巧をマスターしたけど、結局、子供の落書きみたいな絵に辿り着いちゃった。
みんなも身に覚えがあると思うけど、思春期の頃に書いた日記が、妙にイキってて「○○なのであろう。」とか、知ってます感を出しちゃってたりして。
必死に難しい言葉を使ってカッコつけてるんだけど、大人になってから、あとで読み返してみたらすごく滑稽だったりして。
頭の悪い外国人は難しい英単語を並べ立てて、早口で道を尋ねてくるけど、利口な外国人は、中学生レベルの単語だけを駆使して、ゆっくりとした口調で、道を尋ねてくるでしょ?
「スミマセン。 ア・サ・ク・サ ステーション ドコ?」
いたってシンプル。
物事を勝手に難解にして、身動きできない時ってあるけど、それって全部、自分がやってた事だったりしてね。
難しく考えたらダメ。お手本は、クマのプーさんや、バカボンパパ。
もしかしたら、子供向けの「児童書」で道教や老子に関する本があるのなら、絶対にそっちの方が良いだろうなぁ。
悩んだ時や、苦しい時は、こう考えてみる。
TAO(タオ)をゴリゴリに実践しているクマのプーさんや、バカボンパパなら、こんな時どうするだろう?
もっとシンプルに決断して、シンプルに行動してるんじゃないのか?
自分は考え過ぎなんじゃないのか?
もっと、
プーさん的に、バカボンパパ的に、生きていけないだろうか?
私は、釣りバカ日誌のハマちゃんなんかも、タオイストだと思う。
道教を実践しているサラリーマンは、きっとハマちゃんタイプだろうな。
私が時々使うテクニック。野生動物の気持ちになって考えてみる。
秘伝のタレだから、教えるのはちょっともったいないけど、今日は特別に教えてあげよう。
ちょっと心に波風が立って、モヤモヤした時に、たとえば野生動物なんかをイメージしてみるわけ。
そのへんでチュンチュンいってるスズメとかね。
私の場合、何故か野生動物をイメージすると頭の中によく出てくるのは、シカ。
多分、自分が見た野生動物の中で一番大きな陸生哺乳類だから?かもなぁ。
悩んだ時は、
「こんなとき、鹿だったら、どうするだろう?」
って考える。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
「あ、どうもしねぇな」
って。
自分で難しく考えて、勝手に「自爆」してるだけだった…
って気づく。
野生のシカは、もっと淡々としてる。
「クヨクヨ考えて自爆」なんてしない。
自分をわざわざ苦しめない。
もっと、
キョトンとした顔して、何も考えていない。
・・・・・・
それでいいんじゃないのかな。
って思える。
そんなこんなで、今、バカな人は幸いである。
これからバカになる努力をしなくていいのだから。
ピカソみたいに一度、技術的に頂点を極めてからそれを捨てる必要が無い。
最初から捨てるモノを持ってないからね。
ラッキーじゃん。
おめでとう、バカな人。
そのまま突き進んでください。