自分にとっての強みを生かす。自分の持ち味を活かせるフィールドで勝負する。
力を発揮したいなら、輝きたいなら、当たり前なことなんだけど、意外と気がついていない人が多いと思うんですよね。
今日はそのへんの話を。
私自身、自分の長所とか、強みとか、才能とか、ストロングポイントとか、そういうの全然、分かってなかったんですよ。
自分では、なかなか分からないもんなんすよね…。
「自分の良さ」って。
前にも書いたことがあったと思うけどさ、私ね、小学校の頃、かけっこが速かったのよ。
短距離走ね。
たぶん、学年で1番とか2番とか。そのくらいな感じだったんだけどさ。
でもスポーツ万能とかそういうのじゃなくてさ、動きが複雑になってくると、できないワケよ。
基本的に不器用で何をやっても下手だからさ。
球技とかは、ボール使うからダメじゃん?
ましてやテニスとか卓球(ピンポン)みたいに、ラケットも使うとか、あり得ないわけよ。
自分の手の延長線上で、血液の通っていない物質をあたかも肉体の一部であるかのように扱うとか、そんなの全然ムリなわけよ。
あと、バランスが重要なスポーツもダメだったなぁ。
繊細な「体重移動」を必要とするスポーツは軒並み苦手。
スキー、スケート、スケボーとか、あとボディボードっつ~のかな、海の上で乗るやつ。
やったことないけど当然サーフィンもダメだと思う。
とにかくバランス感覚が全然ダメなんだよね、人生においても。
ってやかましいわ。
もしも今だったら、自分の長所を伸ばせばいいんだ、戦えるフィールドで勝負すればいいんだ、バスケ部に入らずに陸上部に入って短距離走やればいいんだって思えるけどさ、まず、1ミリもそんなこと考えなかったね、当時は。
まずね、私は、足が速いのは当たり前なことであって、別に長所とは感じてなかったんだよね。この感じ、分かる人も多いと思うんだけどさ。
最初から、初期設定から身についてる能力って、自分にとっては超絶当たり前すぎて、ストロングポイントだって思えないんだよね。
目が見える人にとっては、目が見えることが当たり前。
普通に生活していて
「うお~!よっしゃ~!目が見えるぜ!」
とは思わないのよ。
でも、目が見えなくなったら、その時はじめて分かるんだよね。
「目が見えるって実はスゲーことだったんだな…」って。
足がある人は、やった!歩ける!とは思わずに、毎日当たり前のように歩いている。
でも、病気や怪我で足を失った時に思うわけよ。
「もう一度、全力で、自分の足で走ってみたい」とかね。
イケメンにとってはイケメンであることが当たり前、
高身長の人は背が高くて当たり前。
その恩恵を受けて日々生きている、っていうのは、本人はあんまり感じてないはずなんだよね、日常的には。
そんな感じで、小学生の私にとっては、かけっこが速いのは当たり前でさ、「これは特別な才能なんだ」とか、感じたことがなかったんだよね。
だって自分は何ひとつ努力してないからね。
なんだろう、頑張って掴み取ったものじゃないから、愛着みたいなものもないし。
こういう時に、ちゃんと褒めてくれる大人がまわりに1人でもいれば違ったのかも知れないけどね。
「お前!すごいよ!それ、才能だよ!」とか言ってくれる人もいなかったし、かけっこで一等賞をとったとしても喜んでくれる家族もいなかったからね。
結局、中学生になってからは、どんどん周りの子に抜かれるようになって。
陸上部の子とか「努力」するからね、筋トレとか。
そのうち成長痛?とかいうやつなのかな、ある日、両ヒザが自分の体重を支えられないくらいメッチャ痛くなった時期があって、四六時中サポーター巻いて生活しなくちゃダメになって、その頃から速く走れなくなっちゃったんだけどさ。
当時は全然気がつかなかったけどさ、でも、いまなら分かるわけよ。
なにひとつ、1ミリたりとも努力をせずに、クラスで1番とか学年で1番になれる何かがあったとすれば、それこそ、自分の強みだし、長所だし、才能ってことなんだ、って。そこを伸ばしていけばいいんだ、って。
ちなみに、
それ以来、何の努力もせずに1番になったことなんて何もないもんね。
あれっ!?
前フリのつもりが、めっちゃ長くなってる…!
そろそろ本題に入ります。
こんな記事を発見。『それが本当の強みであればあるほど、本人にとっては「できて当たり前、知ってて当たり前」である』
ツイッターで流れてきたのを発見して、おっ!と思って検索してみたら出てきました。
その人にとっての本当の強み、他の人にはなかなか真似のできない強みというのは、それが本当の強みであればあるほど、本人にとっては「できて当たり前、知ってて当たり前」であることが多いのです。
だから、それを「あなたの強みってここですよね」と言われると「はあ、それは私にとっては当たり前なんですけど」と思ってしまう。
一方で、周囲の人たちにはできるのに自分にはできないことに意識を向けてしまい、いわば「ない物ねだり」をしてしまう。
しかし、ではその「ない物」を一生懸命に努力して獲得したとしてどうなるかというと、せいぜい「人並み」にしかならないわけです。
独学する時、まず「自分が今持っているもの」との掛け算を考える | 知的戦闘力を高める 独学の技法 | ダイヤモンド・オンライン
これですよ。
めっちゃ分かる。
身に染みて実感。
でね、何度も同じあやまちを繰り返してもアホみたいなんで、ちょっと考えたんですよね。
私にとっての「本当の強み」って何なんだろう?
自分にとっては「できて当たり前」のことって何だろう?
人並み以下の努力で、人並み以上の成果をあげられる分野ってなんだろう?
・・・・・・・・・
そうだ。
ブログだ。
逆に言うとブログ以外にない。
私の場合、ブログに関してだけは、努力以上の成果が出ているように思う。
これをなんとなく当たり前のように感じていたけれど、「当たり前」で済ませちゃダメだったんだよな…。
よし。
ブログ、やる!
そんなわけで、頑張ってるけど、全然ダメだ~…っていう人は、他のことやってみればいいんじゃないかって思うね。
頑張ってるけど結果が出ない、っていう人は、もしかすると自分に適性のない場所で頑張ってるのかも知れないね。
他のことをやってみた方が輝けるかもしれない。
YouTuberとしては大成するかもしれないし。
陶芸家に転身して大ブレイクするかもしれない。
宮本亜門さんは演出家として大ブレイクしたけど、その前は俳優、ダンサー、振付師だった。
ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんは、吉本興業のお笑い芸人養成所NSC出身だ。
もしも「芸人」という肩書にこだわっていたら、どうなっていただろうか?
小説家になって本を出したかった田原総一朗さんは、ジャーナリストになってバンバン本を出版している。
小説家にはなれなかったが「本を書く」という夢は叶えた。
もともとクラシックを習っていた上原ひろみさんは恩師から「ジャズやってみれば?」と言われて、抜群に輝けるフィールドを見つけた。
探せばきっと誰にでも、自分が輝けるフィールドってのはあるはず。
羽生善治は短距離走ではボルトに勝てないが、ボルトは将棋では羽生に勝てない。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2016年5月6日
戦うなら、自分が勝負できるフィールドを見極めないと、努力が全然報われない事になりかねない。
無暗やたらに頑張るのもいいが、それと同じくらい、自分の長所、特性、ストロングポイントを知ることが大事。
あなたも、私も、きっと輝ける!