書を捨てよブログを書こう。旅に出よう。

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昨日、嬉しいコメントがありまして。

ニートの方から。

「今まで何もやる気がおきなかったけど、「自由ネコ」を読んで、ブログを始めてみました」

って。

いや~、嬉しいですね。ありがたいですね。

ブログやっててよかったなって思いましたよ。

 

継続は力なり。続けることで、何かが見えてくる。ブログは続けてこそ得るものがある。

 

なんでもそうですけど、瞬間最大風速的にね、一瞬だけ死ぬ気で頑張ったって、得るものなんて全然ありませんからね。

 

人生は、とてつもない長丁場です。

短距離走じゃありません。

 

もっと言ってしまえば、フルマラソンでもない。

アイアンマンレースでもない。

 

もっともっと、とてつもなく長いレースのようなものです。

 

スタートも、ゴールも、途中のコースも、全部、自分で決めるレース。

誰かの後をついていっても、自分のゴールにはたどり着けません。

 

自分の責任で全てを決めて、自分の足で前に進まなくてはならない。

 

たった独り、自分しか参加者がいない大会のようなものです。

順位なんて関係がない。

タイムだって関係ない。

 

調子の良い時だけ全力で走ったところで、そんなの、あんまり意味がない。

 

誰かが見ている時だけじゃなく、誰にも見られていない時でさえも、コツコツと歩み続けることが大切です。

 

無理は禁物。

長丁場だから。

時には休むことも必要です。

 

途中の休憩が1年だって2年だって、いいんです。

そのあとまた歩き出せばいいんです。

続けること。

 

 

私も途中で何度も道に迷ったし、出口の見えないトンネルの中を何年間もさまよっていました。

「出口なんて本当にあるのか?」

って絶望的になり、自暴自棄になり、ふて寝して、腐っていた時がありました。

 

どうせ死んだように生きるなら、旅に出てみるってのもいいと思います。

20代のある時、人生に行き詰った私は自転車でふらふらとね、旅に出ました。

乞食に間違われたり、通報されたりとかもあったりして。

今で言う「リア充」的なウェ―イ!な旅では決してなかった。

でもやっぱり、旅に出てホント良かった。

いろんなことに気づけますよ。

gattolibero.hatenablog.com

 

人生ってホント、ドミノ倒しみたいなもんでね。

あの日、あの時がなかったら、出会えなかった人っていうのがいっぱいいるわけで。

「旅に出ないとあの人に会えなかったんだ」

っていう運命的な出会いもあったりなかったりします。

ほとんどないけど、一人でもいれば十分。

 

あの人と出会ってなかったら、当然この人とも出会ってないし、そうすると、自分はこんな事にチャレンジしてないだろうし…みたいに、全部、繋がってるんですよね。

 

部屋にひきこもってるだけでは、同じサイクルの堂々巡りですけど、旅に出てしまえば、今日と同じ1日は、二度とありません。

一期一会。

毎日が初めて訪れる町。

晴れの日もあり、雨の日もある。

追い風の時も、向かい風の時もある。

平坦な道ばかりが続くわけではない。

地獄のアップダウンもあって、日本は確かに山国なんだと改めて実感する。

 

昨日が最高な一日だったとして、

今日が最悪な一日だったとして、

明日がどうなるかなんて、まるで見当がつかない毎日。

すばらしい。

 

夜寝る前にテントの中で、自分が進んできた道のりを、地図上に蛍光ペンで書き写します。

何もできない、無能だと思っていた自分が、日本地図にその足跡を書き込めちゃうんです。

「え~!こんなに遠くまで、自分の足で、移動したの?」

ってちょっとビックリしたりして。

 

自分がコツコツと、毎日毎日毎日毎日ペダルを踏み込んで、少しずつ前進してきた成果が、日本地図で確かめられるんです。

 

これ結構、達成感があってイイです。

車や電車で移動してたんじゃ、便利で速いし疲れないけど、「オレはやった!」という実感は得られません。

 

自分の足で、つづら折りの険しい峠を、汗だくになりながら登り切った時に見る眼下の景色が、その時の感動が、観光バスでやってきた人と同じはずはないんです。

 

 

部屋にこもってシコシコとゲームやったりネットやったりして現実逃避してるくらいなら、ズタボロのゴミみたいになる覚悟で、自転車で旅に出るがよろしい。

別に、出会いを求めて、社交的に振る舞う必要はないです。

私みたいに、ただ黙々と、全ての雑念が吹き飛ぶまで体を酷使するために移動し続ける旅もアリです。

いずれにせよ、おのずと何かが見えてくるでしょう。

 

部屋にこもって「人生とは何ぞや?」と考えてるだけでは、面白くないし行き詰る。

旅に出れば、道は無数にあり、選択肢は一つではないことを知る。

唯一の答えなど無く、どちらを選んでも間違いではないことに気づく。

 

安易に答えを求めなさんな。

あえて地獄を見ろ。

自ら飛び込め。

 

どこかの偉い人が言っていた。

四十にして惑わず。

歴史に名を残すような偉人でさえも40まで惑っていたわけですよ。

 

だったら我々のような凡人が、何かの答えを20代や30代で見つけられるわけはなかろう。

 

答えなんて、分からなくって当たり前なんだよ。

ハッキリ言って、そんなの知ったこっちゃねぇんだよ。

 

答えなんて、どうだっていいんだよ。

しゃらくせぇ。

 

 

よく、人生に悩んでいる若い人のブログを見てる時に思うんだけど。

あれこれ悩んでるワケ。

これ、すごく健全なことなんだけど。

 

人生をああでもないこうでもないって、考えてるワケね。

私はそれを読んで、密かに応援するわけだけれど。

「まるで若い頃の自分自身を見ているようだ」

って思いながら。

 

そうすると、ある時、

「人生の何たるかを悟りましたよ!」

的なエントリーをあげてくるわけだ。

 

人生って、こういうことなんすよね!

って。

何かが分かっちゃったよ!

って。

 

それで、読み進めていくと

「答えはこの本に書いてありました!」

って、

アマゾンの広告が最後に貼ってあるんだよ。

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

分かっていない。

 

当然、数週間たつと、また人生に悩んでるんだよね。

分かったような気になっていただけだから当然だ。

 

そして、また数日後に、

「こんな本がありました!」

と、アマゾンの広告を貼って、何かを理解したような錯覚に陥ってる。

 

 

しょ~もない自己啓発本をたかだか数十冊読んだくらいで、何かが分かった気になってんじゃねぇよ

と、

これはもう、完全に、

「お前は20代の頃のオレか?」

っていう、まるで鏡を見ているかのような気持ちになるワケだ。

 

 

まぁでも、自分自身が何かに気づくことが目的では無くて、

「安易に答えを知りたがっているカモにアマゾンのリンクを踏ませること」

が目的なのであれば、昔の私よりもよほど狡猾で、世渡りが上手いんだろうけど。

実際、どういうつもりなのかは知らん。

 

 

個人的には、凡人なら20年間は、もがいたり足掻いたりすることがデフォルトなんじゃないかと思っている。

迷って当たり前。

答えが見つからなくて当たり前。

そのくらいの覚悟で人生に取り組んでいいんじゃないかと思っている。

 

楽して答えに辿り着こうと思って、魔法のツボを30万円出して買ってもダメだよ。

他人にすがるな。

自分の人生を丸投げするな。

 

 

 

これからも、ニートやひきこもり、うつ病やら心の病気やら、あるいは他の何か、とにかく「生きづらさを抱える人」をね、私なりのやり方で、ひっそりと応援というかな、ただ見守る程度なんだけどね、そういう感じでやっていきたいと思います。

 

「なんでも悩み相談室」的に、読者の皆さんから質問とか募集しようかどうしようか、考えています。

まぁ、おそらく北方健三先生の「試みの地平線」みたいな回答になっちゃうと思うんですけど。

 

「どうしたらいいですか?」

という問いに対して、

「そんなの知るか。お前が自分で考えろ」

と答えちゃうノリです。