戦争と平和。政治と社会。見て見ぬふりか、やれることをやるか。

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毎年、夏になると戦争と平和について思いをはせる…みたいな風潮ありますけどね、これ、非常に良いと思いますね。

普通に暮らしてると忘れちゃうんだよね。

当たり前に過ぎていく日常の中で、戦争のことも、平和のことも、いつの間にか忘れてしまう。

思い出すきっかけさえ掴めないくらい、現代人の生活には余裕がない。(個人差があります)

 

話題のアニメも観なくちゃならないし、マンガも読まなくちゃ。ゲームだってプレイしないと仲間の輪に入れなくなる。

流行りのメイクに流行りのファッション、イジメの標的にされないように、悪目立ちだけはしないように。

 

確か「ファイトクラブ」の中でタイラー・ダーデンはこんな感じのことを言っていた。

俺たちは歴史のはざまで生まれ、生きる目標も場所もない。

新たな世界大戦も大恐慌もない。

今あるのは魂の戦争だ。毎日の生活が大恐慌だ。


ファイト・クラブ (字幕版)

 

タイラーの言うように、我々は日々、戦っているのかも知れない。

これは「魂の戦争」なのかも知れない。 

 

 

昨日、NHKでやってましたね。「駅の子」の特集。

 “駅の子”の闘い ~語り始めた戦争孤児~

親を空襲で亡くしたり、親と離れ離れになったりして生まれた戦争孤児、その数は12万人にも及ぶ。

孤児が駅で寝泊まりする姿は全国で目撃され「駅の子」とも呼ばれたが、子どもたちに何があったのか、その実態はよくわかっていない。

NHKでは、この3年間、孤児への聞き取りや、資料発掘を進めてきた。その結果、生々しい悲劇の実態が見えてきた。

食べるものがなく、目の前で子どもたちが餓死していく日常、生きるために盗みや売春をせざるをえない子どももいた。

重い口を開き始めた孤児たちが訴えるのが、国や大人たちから「見捨てられた」という思いだ。

「汚い」とさげずまれ、やさしい言葉をかけてくれる大人はいなかった。進学や就職してからも差別や偏見が続いた。

孤児の多くは過去を隠し、1人で生きていくしかなかった。

「戦争が終わってから本当の闘いが始まった」という孤児たち。

当事者の証言をもとに、知られざる「駅の子」の実像に迫る。

NHKスペシャル | “駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~

 

戦後間もない頃、身寄りを失った孤児たちの多くが駅のホームで寝泊まりしていたらしい。

ボロボロになって、そのまま野垂れ死んでいく子供たち。

駅の構内を行き交う人々は、彼らに手を差し伸べなかった。

見て見ぬふりをした。

自分には関係が無いと、無視し続けた。

 

みんながそれぞれ、自分のことで精一杯だったからしょうがない?

 

そうか。そうなのかもしれない。

 

でも、生き残った元孤児のお爺さんは、昔を思い出して語っていた。

「ぼくたちが何をしたっていうんだ?何故こんな目に遭わなければならないんだ?」

 

そう、孤児たちは何もしていない。ただ、親が死んだだけだ。

 

 

人間って残酷だ。

そのことをあらためて思い知らされるだけでも、意味があった。そう信じるしかない。無力な私には他にできることなど何もない。

 

私にできることは、ブログを書くこと。ただそれだけだ。

だから私は。

ブログを。

書くのです。

 

この記事を読んだ誰かの心に、何らかのさざ波が立って。

それがバタフライ・エフェクトのように他の誰かの人生に影響を及ぼして。

そうやって世界が少しだけ、良い方向に動けばいいなぁと。

そう願う以外に、特にできることなど無い。

 

だから、卑下もせず、淡々と、ただ書き続けるのみ、なのです。

 

 

見て見ぬふりをするのか。それとも、自分にできることをやり続けるのか。

みんなそれぞれ、自分なりのスタイルで、できることに取り組めばいいんじゃないかと思うデスよ。

誰かに強制されるとか、誰かの生き方の受け売りじゃなくてさ。

自分で考えて、自分にできることをやる。

自分の判断で、自分の責任で、行動する。

 

たとえば。

 

はてなブログ村の重鎮、わっとさんの姿勢は、まったくブレる気配が無い。

ボランティア精神の権化、と言っていいのかも知れない。(良い意味で)

www.watto.nagoya

 

カテゴリー「ボランティア」の記事をさかのぼると、2004年から始まっているではないか。

ブログ開始当初から、ということになる。

ボランティア カテゴリーの記事一覧 - しいたげられたしいたけ

 

これはおそらく、2004年以前からボラっていたに違いない。

筋金入りのボランティストだ。(そんな言葉があるのか知らない)

 

 

よんばばさんも平和のために活動していらっしゃる。

yonnbaba.hatenablog.com

チャリティーPeace展。

素晴らしい。

 

 

そして、わんおぺまむさんのような活動も。

デモクラシー カテゴリーの記事一覧 - 極楽ワンオペ育児

 

ワンオペ育児っていうことは、昔風に言うといわゆる「女手ひとつで」ってことだと思うんだけど、それって相当、大変だと思うんですよ。

そんな中、忙しい合間を縫って、デモに参加したりして。

 

こういう独自の抗議行動?もw

 

わんおぺまむさんの活動については、いつかどこかで言及しておきたい、って思ってたんだけど、なかなか難しいんすよね~、政治的な話って。 

 

 

政治には、老人以上に若者に関心を持ってもらいたい。何故なら未来は若者のためにあるから

政治に関してはホントいろいろと厄介で、なかなか言及しにくい、ってのはあると思う。

「立場や考え方はほぼ似ている、似ているが、でも違う」みたいなこともあるだろうし。

ま、とにかく、ブログで言及するのはいろいろと難しいのよ。

 

 

でもね、実はみんなが当事者なんだよね。部外者はいないんよ。

「選挙になんて行かないよ」って人でさえも、無関係じゃないわけよ。

 

そう考えるとさ、今後の日本をどうするか?って話はさ、若者にとってこそ、重要なテーマなんだけどねぇ。

 

 

日本の未来ってさ「余命10年のジジイ」よりも「余命50年の若者」の方が、よほど真剣に考えるべきだと思うんだよね。

 だってさ、ジジイなんて、あとは勝ち逃げ狙ってるだけですよ。自分が死んだ後のことなんて知ったこっちゃないんだから。

後は野となれ山となれですよ。

この先、20年後、30年後、40年後のことなんて、大半の爺さんたちは本気で考えてないんよ。だって、その頃には自分は死んでるんだから。

 

逆に言うと、数十年後の未来って、今の若者たちのためにあるようなもんなのにさ、なんで、全然、

「自分たちにとって都合がいいような世界に創りかえちゃおうぜ!」

って人があんまり出てこないんかね。

 

今ちょうど、変革の時、っていうかさ、どんどん新しい技術とか生み出されてるし、世界が激変してる真っ最中なんだよな。めちゃくちゃチャンスだと思うんだよね。

 

産まれた時からケータイやスマホがあって当たり前な若者にとっては、ピンとこないかもしれないけど、じいさんばあさんにとっては、世界がメチャクチャ別物になってるんよ、この30年40年の間に。

 

昔は家の茶の間に固定電話が一個あるだけでさ、子どもは電話なんてなかなか使えなかったんだよなぁ。

 

みんな公衆電話で10円玉で電話かけてたんだよ。

それがテレホンカードになって。

今度はケータイが普及して、スマホになって。

 

昔は待ち合わせ場所とか時間がずれたら、もう会えなかったんだよね。

連絡しようがないから。

 

デジカメも無かったしさ。

昔は、カメラで写真撮ったら、現像してプリントするまで、出来栄えとか分からんかったんよ。だから結構カネかかったんだよね。要らない写真とか失敗作も出来てから捨てる感じでさ。

「あれっ、思いっきり目、つぶってるじゃん!」とか。

 

レコードがCDになって。

それが今度はデータ?なの?

もうよく分からんけどさ。

 

ブログもツイッターもなかったんよ。もしあったら、自分ももっと楽に生きられたのになぁ~って思うよ。

今ブログに書いてるようなことをひたすらノートに書いてるだけだったからね。

四畳半に閉じこもってひたすら書いてても、人生何も変わらなかった。

でもまぁ、その時の体験や苦しみや想いが熟成されて、今の私にブログを書かせている、と思えば意味はあったと思うけどさ。

 

今はイイよね~。

自分の主張を無料で世界に発信できる。これを有効活用せずにどうすんだ?って話ですよね。

 

まぁとにかくね、昔はパソコンもなかったし、ゲームも百人一首とか、蹴鞠だったんよ。

 

ナイキもアディダスもなくてさ、みんな下駄とか草鞋だったんよ。

 

食料だってそうですよ。

寿司も天ぷらもなくてさ、基本、マンモスの肉ですよ。

こう、骨の周りにぐる~~っと・・・

 

ん?ちょっとさかのぼり過ぎたか。

 

まぁとにかくナウなヤングたちにとっては、、今メッチャとんでもないチャンスの時期だ、ってのは頭の片隅に置いておくといいと思う。

 

 

ということで。

老ブロガーは死なず、ただ更新するのみ。

 

gattolibero.hatenablog.com

 

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