思い出のアミーゴたち

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オレは以前、住んでいた町で

日系ブラジル人の人たちと

仲良くやっていた時期があった。

 

彼らは、出稼ぎに来ている

日系ブラジル人たちで、

陽気な連中だった。

 

アミーゴたちは、

オレよりも全然、

真面目に働いていた。

 

勝手なイメージで、

「ブラジル人は怠惰だ」

と思っていたが

オレよりはるかに勤勉だった。

 

彼らはお金が欲しかったから

毎日、残業を頑張っていた。

国に残して来た

女房や子供や親のために

仕送りしていた。

 

オレは当時のカミさんに

財布のヒモを握られていたので

いつもカネを持っていなかった。

 

よくアミーゴたちに

おごってもらった。

 

時々、彼らに

ポルトガル語を教えてもらった。

下半身に関するスラングと

人を罵倒する言葉ばかりだった。

 

オレが覚えたフレーズをしゃべると

みんな「最高だな」と喜んでくれた。

 

まぁ、日本で言うところの、

「竿」とか

「ムスコ」とか

「ウインナー」とか

「おいなりさん」とか

そんなスラングばかり教えてくれた。

 

初対面のブラジル人とも、

割と簡単に仲良くなる事が出来た。

 

「オレはポルトガル語を話せるよ。」

と、スラングをいくつか並べると

「いいね」といって

すぐに打ち解けてくれた。

 

下ネタは万国共通。

インテルの長友佑都選手も

この作戦で一気に

チームメイトと仲良くなった。

 

 

アミーゴたちは皆、

口をそろえたかのように

「ブラジルに来たら、うちに来いよ」

と言う。

目を見るとマジだ。

オレは一応、

それは「社交辞令か?」と聞く。

 

日本人は、

本当は来てほしくなくても、

遊びに来いって言うんだよ。

それで、遊びに行ったら

ホントに来ちゃったの?

ってなるんだよ。

と説明してあげた。

 

連中はみんな、

びっくりしたような呆れ顔になった。

 

 

週末のバーベキューには

いつも呼んでもらった。

日本人はオレだけだったけど、

同じように接してくれた。 

 

特別扱いも、差別も無くて

本当にありがたかった。 

 

 

アミーゴたちは、どういうわけか、

自動車に対して強い愛着を持っていた。

 

自分の写真を撮る時は、

バックに愛車を入れるようにして

撮影するのがデフォルトだった。

 

オレは彼らのドライブにも

時々、便乗した。

(オレは免許を持っていない)

 

彼らは、いわゆる

「峠を攻める」ってのが大好きで

曲がりくねった山道を飛ばした。

死ぬかと思った。

 

実際、オレが直接は知らない

何人かが急カーブで死んでいた。

 

 

彼らは、人生を楽しむように心がけていた。

たとえ無理してでも、

全力で「楽しい人生」を掴みに行っていた。

 

「おれのお父さん、最近、死んだんだ。

でも、そのお父さんは

本当のお父さんじゃないんだけどね。

あはは。」

と、

平然と笑って言う。

 

「銀行でカネを下していたら、

銀行強盗が入って来て銃を乱射したんだ。

死ぬかと思ったなぁ。」

と、

笑いながら言う。

 

「車で移動中、

交差点の赤信号で止まってたら、

強盗に囲まれたから

銃を撃ち返して応戦しながら逃げたよ。」

と、

子供みたいに屈託のない笑顔で言う。

 

過去に参加した面白イベントの

思い出話でも語るかのように、

笑いながらエグいエピソードを披露する。

 

 

彼らには、逆境の中にあっても

「そんなこと、知ったこっちゃねぇよ。」

で済ませる強引さがあった。

 

何か、生きるヒントを

教えてもらえたような気がした。

 

 

 

オレも、感謝の気持ちを込めて

お返しに日本語を教えてあげた。

 

オレが教えたのは、

「てめえらの血は何色だーーっ!」

というフレーズだった。