多分、今年中に母親が死ぬと思う。
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去年の暮れに、うちのばあさん(私の母親)が入院した。
年が明けてから様子を見に行ったら、骨と皮だけになっていた。
モノが食べられないので点滴で生きながらえていた。
「あぁ、これはもう先が長くないなぁ。今年中に死ぬだろうな」と思った。
強い薬による幻覚と、一気に進んだ痴呆の影響で、か細い声で意味不明な事を口走っている。
「お願いだから便箋を買ってきて。どうしても手紙を書かなければ」
と懇願してくる。
気楽で楽しい夢でも見ているならいいが、もうずっと何日も、悪夢の中をさまよっているように見えた。
ばあさんは、涙を流して私に助けを求めてくるが、私はどうすることもできない。
ばあさん(母親)が死んでも、私は泣けないだろうな、とは思う。
もともと私は、家族みんなと仲が良くない。
父、母、兄弟、いずれに対しても特別な思い入れなどない。
私一人が阻害されていたわけではなく、我が家はみんな、バラバラだった。
家族愛など、知らない。
今となっては、それをどうこう思うことは無い。
親を憎んでいるか?と言われれば、憎んではいないし、恨んでもいない。
ただ、どうでもいいのだ。
私にとっては、どうでもいい存在。
よく、インチキ宗教の偉い人が
「許すのです。あなたの親を許すのです。愛すのです」
みたいな話をするけれど、私はきっと、家族を許さないし、愛さない。
私にとって家族は、そういうもんじゃない。
私は、聖人君子でもないし、模範的な社会人でもないし、善良な市民でもない。
そういう「正しい人」になりたいとも思わない。
私は、清くもないし、正しくもないし、美しくもない。
無様だろうが、醜かろうが、汚れたまま、堂々と生きることに決めたのだ。
今の自分を、愛してやることに決めたのだ。
じいさん(私の父親)は、「可能な限り、オレがばあさんの面倒を見る」と言った。
直接聞いた話ではないが「せめてもの罪滅ぼしだ」と語ったらしい。
じいさんの心の中に「自分は、ばあさんに迷惑をかけていた」という自覚があったことに少し驚いた。
じいさんは、家族に対しては傲慢で、暴力も振るったし、外に女を作っていた時期もあった。
離婚するとかしないとか、もめていた時期もあったらしいが、私はその時、すでに実家を離れていたので、詳しいことは知らない。
どうでもいいっちゃどうでもいい話だ。
兄弟たちも皆「離婚?どうぞどうぞ、ご自由に」
というスタンスだったと思うが、どういう経緯で離婚しなかったのだろうか。
知りたくもないから詮索はしないけど。
じいさんは今、老人ホームの2人部屋で、寝たきりに近いばあさんの面倒を見ているらしい。
あれだけ短気で、自分勝手だったじいさんが、忍耐強く、ばあさんの介護をしているのは、たいしたもんだ、と思う。
朝だろうが昼だろうが夜だろうが、ばあさんは、泣いたり喚いたりしている。
夜中に何度も起こされて、じいさんも疲労困憊らしい。
兄弟の話では、じいさんも精神を病みつつあるとの事。
まぁそうなっても、何もおかしくはない。
ただ、じいさんの痴呆も恐ろしいくらい進んできているので、ちょっと気がかりだ。
痴呆老人2人が同じ部屋で、どうやってうまく暮らしているのか、ちょっと不思議な気がする。
ばあさんが死んだあと、じいさんはどうなるのだろうか。
すぐにあとを追うように、死んでしまうような気もする。
まぁ私は、彼らの人生に口を出せる立場にはない。
私が私の人生を精一杯、生きるように、彼らは彼らの人生を精一杯、生きてくれれば、それでいいな、と思うだけだ。
ばあさんは、もうずいぶん長いこと難病のパーキンソン病を患っている。
最近では病気の進行を遅らせる効果的な薬も出回っているらしいが、 昔はどうしようもなかった。
詳しいことは知らないが、他にもいろいろと病気を抱えているらしく、かなり膨大な量の薬を飲んでいる。
そしてその結果、薬の副作用で幻覚が見えるようになった。
しかも去年あたりから、強度のボケが加わったので、もはや支離滅裂。
こちら側も、本人も、何が何やらよく分からなくなってしまった。
それにしても、ばあさんは、去年あたりから一気に衰え始めた。
会うたびに、その変貌ぶりに驚く。
どんどん、干物みたいになっていった。
今頃、元気でやっているんだろうか。
それにしても。
老人ホームへ行って、じいさんとばあさんの様子を伺うのは、非常に億劫だ。
踏ん切りがつかない。
よし!いくぞ!という勢いがないとなかなか行けそうにない。
私が、じいさんとばあさんに対して感情移入できないのは、もしかすると、私自身の発達障害?が原因なのかも知れない。
私はどうも、人の気持ちを汲み取るのが苦手だ。
武田鉄矢主演のドラマ「101回目のプロポーズ」 を観てる時は、浅野温子が泣くたびに私も、もらい泣きをしていたので、全然、他人に感情移入できない、ということでは無いと思うんだけど、どういう事なのか、自分でもよく分からない。
それにしても、浅野温子が10分おきに泣くので、こっちも非常に忙しかった。
じいさんもばあさんも「葬式は家族だけでひっそりとやる」とずいぶん前から明言してるので、まぁ、そういうことになるんだろうと思う。
墓の手配もしてあるらしい。
それにしても、兄弟の中に、「THE・鍋奉行」みたいな仕切り屋がいて、本当に大助かりだった。
ばあさんは、今年中に死んでしまうような気がするけど、私はきっと、葬式でも泣けないだろうなぁと思う。
死んだという知らせを聞いても、きっと「あぁ、そうですか」と淡々としているだろう。
「かあさ~ん!なぜ死んだんだ~~!」
みたいな事にはならないだろう。
ただ、数日前、書類やメモを片付けている時に、ばあさんが書いたメモが出てきた時は、何故だか、泣けてきた。
パーキンソン病で震える手で、私が海外旅行へ行った時に宿泊したホテルの住所や電話番号などが緊急連絡先としてメモしてあった。
震えている文字が丁寧に丁寧に書かれていた。
私が旅行の直前に、ばあさんの携帯電話にメールした内容を、そのまま、便箋に書き写したものだった。
私はきっと、じいさんが死んでも、ばあさんが死んでも、泣くことはないだろう。
ただ時々、
フラッシュバックのように、思い出して泣くかもしれない。
仲の良い「普通の家族」のようだった数少ない一場面を切り取るように思い出して。
私はまだ、今年は一度しか、老人ホームへと出向いていない。
電話をかけることも躊躇している。
ちょっとだけ、申し訳ないと思う。