一度、地獄へ落ち、そこから這い上がってきた者は、
「いま地獄にいる者を救う」という役目を担う。
すなわち、
救われた者は救う者となる。
……とまぁ、そんな感じのことをAKIRAさんがよく言ってる。
すごくよく分かるね。
波乱万丈の生涯を送った伝説の男、杉山明(AKIRA)を知っているか?
(ってか、まだご健在です)
どっちかっていうと、全然、死にそうにない。
ガンになったけど治っちゃったし。不死身。
控えめに見積もってもバケモノであることは間違いない。
濃度で言ったら常人の10倍くらい濃い人生を送っている。
世界100カ国を放浪、小説家、画家、ミュージシャンとして活躍。
最近はますます新興宗教の教祖様みたいになってて、かなり怪しい。
そのAKIRAさんが時々、言うわけだ。「地獄から救われた者は、救う者となる。」みたいなことを。
どういうことかというとさ。
例えばアル中の患者がいたとします。
アルコール中毒。
酒ばっか飲んで。どうしてもやめられない。
そういう人にとっては、断酒なんて、絶対に無理とさえ感じると思うのよ。
どうしても酒を我慢できない。
この地獄から抜け出すことなんて出来ない。
そういう風に感じてしまうと思う。
でもね。
そこに、「元・アルコール中毒患者」が現れたとしたら、どうだろうか。
今ではキッパリと酒を断ち、立ち直ることができた人。
ある意味、その存在は「光」ですよ。
過去にはどっぷりと酒に溺れたにも関わらず、そこから立ち直って更生した人の存在は、今アルコール地獄の中で苦しんでいる人々にとっては「希望の光」なわけです。
自分もきっと立ち直れる、という「可能性」なのです。
「諦めなければオレもいつかは更生できる!」そう信じるための「希望」なのです。
何となく分かります?
地獄から生還した人は、そういうチカラを手に入れているわけね。
なんつ~かな。
説得力が違うからね。
「実際に、落ちて、そこから這い上がる」
それを自分自身の人生を使って、自分の背中で示しているわけだから。
これね、アルコール中毒に限ったことじゃなくてさ。
薬物中毒とか。
DV(ドメスティック・バイオレンス)とか。
事故で家族を失ったとか。
不治の病に侵されたとか。
イジメとかもそうだよね。
そうやって、
何らかの理由で地獄に落ちた過去を持つ人が、苦しみを乗り越えて立ち直った場合にさ、その人は「地獄で苦しんでいる人たちの希望の光」になれるワケですよ。
AKIRAさんにも、薬物中毒の過去があります。泥棒だったこともある。
人生のズンドコ…もとい。どん底を嫌というほど味わい、そこから復活した人の言葉だからこそ、チカラがある。説得力がある。重みが違う。
とりあえず、「人生、どうしたらいいのか分かんねぇよ」ってヤツは、AKIRAライブを観に行け。
AKIRAさんのライブの会場には、ただなんとなく「ウェ―イ」って楽しく生きている人はほとんどいないんじゃないかな。
勝手な推測ですが。
ライブ会場に来ている人たちの多くは、きっと何かを抱えて生きている。
地獄のど真ん中で苦しんでいる人、
今まさに地獄から這い上がろうとしている人、
完全に立ち直って輝きを放っている人、
・・・・・・
そういう人たちの人生に触れてみるといい。
自分一人がこの世の悲劇を全部背負い込んでいるような気持ちになっていたけど、なんなんだ!?
みんな、何かを抱えて生きてるじゃん!
苦しいのは自分だけじゃなかったんだ!
……そんな風に思えるんじゃないでしょうか。
きっと生きる勇気が湧いてくる。
自分自身を悲劇の主人公に仕立て上げるのはもうおしまいだ。
ひとつだけ、注意点を言っておこう。誰かを助けることで自分も助かろうとしてはいけない。
ひとつだけ、注意しなければならない点があります。
今、苦しんでいる人は覚えておいたほうがいいかも。
たとえばね、
「自分の存在意義」が分からなくて辛い、っていう人、いると思う。
「何のために生まれてきたのか分かんない」
っていう人。
こういう人が、
「世のため人のために生きる!」
って考えて、
「誰かの役に立てば自分の存在理由もハッキリする!」
って考えちゃうと、ちょっと危ない。
そんな気がしますね。
ようするに、
「自分が生きていてよい」理由を他者にゆだねちゃう。
これはやめた方がいい。
自分自身に対して
「他人の役に立ったから、自分は生きていてOK」
っていう許し方をしちゃうと危険ですよ。
それって「他人ありき」だから。
他人に思いっきり依存してるって事だからね。危険です。
自分の人生、生きる意味を、全部他人に丸投げしちゃダメ。
私も昔、若い頃に、発展途上国に井戸掘りに行こうと思ってた事があったんですよ。
いろいろ資料を掻き集めているうちに、なんか違うな…って思って行きませんでしたけど。
でも今思えばそれって、
「とにかく誰かのためになることをすれば、自分はこの世に存在することが許されるんだ」
っていう焦りに突き動かされていたんですよね。
違うんですよ。
どんな自分であろうと、本当は生きていていいんです。
誰かのために頑張ってもいいし、
実をいうと、
ただ何となく生きてるだけでも、いいんですよね。
大それたことなんてしなくてもいいんです。
まずは、自分を認めてあげること。許してあげること。愛してあげること。これができていないと、誰かを助けることなんてできない。
「誰かに必要とされているか?」「社会に貢献しているか?」
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年10月8日
そういう物差しで自分自身の価値を測っている人間は「他者ありき」で生きているので軸を持てずにブレやすい。
自分の人生を誰かに丸投げするのは、自分に対して失礼な行為だ。もっと自分を愛して認めてやれよ。自分が気付くしかないんだ。
「頑張ってる自分には価値があるけど、そうじゃない自分には価値がない」そういう考え方を学校や親や社会から刷り込まれてきた。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年9月3日
でも本当はさ、
頑張っていてもいなくても、どちらの自分の事も同じように愛してあげて良かったんだよね。
自分自身が、自分の一番の味方になってあげよう。
「どうすれば、自分を許すことなんてできるんでしょうか?」
って思ってる人も、いると思う。
「何もない、役にも立っていない、ただ生きてるだけの自分を、どうやって認めてあげたらいいのか分からない」
という人もいると思う。
それって
「自分自身に合格点を出すための条件を知りたい」
ってことなんだけどさ。
もうね、その根本から間違ってる。
「何点取れば自分は合格なのか?」
という発想そのものに問題がある。
「自分を肯定できるための条件を教えろよ!」
じゃないんだよ。ドアホ。
こっちは、
「条件なしで自分を肯定しろ」
って言ってんの。
これはもうね、子供の頃に、どう育てられたか?がすごく影響するらしいんだけどさ。
あれをしなきゃ褒めてもらえない、
これをしなかったら認めてもらえない、
テストで80点以上取れば許されるけど、それ以下なら存在自体を否定される、
みたいなね、
常に条件付きでしか存在を許されないまま大人になっちゃうと、無条件に自分を認めるってのができなくなっちゃうんだね~。
あれ?ちょっと待てよ?
なんだか脱線してるような気がするなぁ…。
これでいいのだろうか。
あぁそうだ。ひとつ、たとえ話をしよう。溺れている人の話。
話を分かり易くするために、
人生に苦しんでいる人を、川で溺れている人に例えてみよう。
あっ!人が溺れている!
助けなきゃ!
その時、あなたはどこにいるのか?って話。
川岸から、溺れている人を発見したのか。
それとも、
自分自身も川の中で必死に犬掻きをしている状態だったのか。
自分も溺れかかってるのに、
よ~~し!待ってろよ~!今助けに行くぞ~!
って犬掻きしながらイキってもさ。
結局、共倒れになる可能性、高いですよ。
「よし!助けに来たぞ!オレに掴まれ!」
って大ぶろしきを広げたところで、2人とも溺れて死ぬだけ。
よくても、
溺れている人を「浮き輪」代わりにして、自分だけ助かるとか。
では、陸上にいる者なら、誰でも助けに飛び込めるのか?
というと、そうではない。
助けることができるのは、泳ぎをマスターした者だけです。
一度も川に転落したことが無い、一度も泳いだ経験が無い者は、溺れている人を助けるなんて至難の業。
そこで登場するのが
過去に、川に転落したけど、溺れながらもなんとか泳ぎをマスターして、自力で岸まで辿り着いた、という経験がある人ね。
そう、「地獄から生還した者」です。
なんか、ちょっと変な例え話になっちゃったかな。
まぁとにかく、言いたいのは、
自分自身がクロールも平泳ぎも着衣水泳もできなくて、今まさに、アップアップしてる状態なのに、溺れている誰かを助けることなんて出来ませんよ、って話。
でもねぇ~…。
誰かを助けることによって「社会の役に立った」という免罪符を手に入れようとしている人間は、これをやりがちだと思うんだよね~。
「自分が助かりたい」から「誰かを助けよう」とする。
これ、要注意です。
誰かを救う前に自分自身を救ってください。
自分に出来る事をコツコツと続けることです。
ということで。珍しく、着地点が見えてきました。私は私に出来ることをやる。
私は、AKIRAさんではない。
AKIRAさんになりたいとも思わない。
人はそれぞれ、パズルのピースのように、違う役割を持っている。
杉山明がAKIRAを演じるように、私は私を演じるだけです。
私は私に出来る事を地道にコツコツとやるだけです。
では私に出来ることは何か。
AKIRAライブの宣伝だ、ということで(笑)
宣伝しようと思ったけど、どうやらこれから3ヵ月、スリランカに行くらしいね、AKIRAさん。
最近は毎年、3ヵ月間ビーチリゾートに滞在して文筆業に取り組んでるらしい。
この無尽蔵の創作意欲と溢れ出るエナジーはどこからくるのかホント不思議。
常人離れしすぎている。
最後に言っておくと、私はAKIRA教の信者ではございません。お金をもらって宣伝してるわけでもありません(笑)
ここまで絶賛しておいて言うのもなんですが、AKIRAさんを過度に崇拝する必要はないと思うんです。
私もスナフキンと同様「誰かを崇拝しすぎると本当の自由は得られない」って思うんで。
AKIRAさんの言ってることを100パーセント信じて鵜呑みにする必要はない。
「あれっ?なんか違うな」って感じる部分があってもいい。むしろそれが正常。
(十人十色、人間はひとりひとり違うのに「100%同意」なんておかしいもんね)
AKIRAを応援する理由は、ただ純粋に「人間・AKIRA」のことが好きだから、っていうだけでOKなんじゃないかな。
ということで。
AKIRA語録「救われた者は救う者となる」の話、
地獄から生還した者は、今度は、他者を地獄から救う役目を担う。
でした!
AKIRAさんのブログ
おまけ。NHK日本の百冊にも選ばれたAKIRA伝説の一冊「COTTON100%」
若かりし頃のAKIRAの生き様がすでに「THE・AKIRA」過ぎてヤバい。
自伝的小説「COTTON100%」はAKIRAを知るにはもってこいだ。
素人(当時)の書いた文章だとは到底思えない。
流れるようなリズム感。一気に読める。
君の人生を変える!
すべてはここからはじまった。AKIRAの原点は、すべてこの作品に濃縮されている。ホームレス、ジャンキー、泥棒にまで堕ち、アメリカの底辺を旅した魂の記録である。
出版社の倒産によって廃刊になった幻の処女作がついに復刊!
新たなる一章と数奇な運命を描いたあとがきが加筆され、現代の神話は完成した。
「たとえばこの平均台を歩いていけば、安定した地位や名誉や成功が待っているよと誘われる。
もしもそこから落ちたらば、真っ暗闇の地獄だぞって脅される。みんなあせって青い顔してバランスとって、このせまーい一本道をだまって行進してくんだ。
オレだって、踏みはずしたときゃビビったよ。ところがだ、落ちてった先にはいったい何があったと思う?
地面だよ。
落ちろ! 落ちろ! 落ちろ!
そして目覚めろ!!」
つまづいて、傷ついて、へこんでる君へ、
オレといっしょに旅に出てみないか?
こちらは文庫本。復刻版?っていうのかな。
こちらは単行本(絶版らしい)
私も持っています。AKIRA直筆サイン入り。