「何をどう頑張ればいいのか分かんねぇよ」というナウなヤングへ。

広告

「何でもいいから好きな事に全力で打ち込め」って言われても、何に打ち込めばいいのか分かんねぇよ~!って人、いると思う。

そもそも「自分は何が好きなのか」、「何をやりたいのか」、それが分かんねぇよ、って人もいると思う。

その気持ち分かります。私も若い頃はそんな感じだったからさ。

自分の中にある「煮えたぎるエナジー」を何処にぶつけたらいいのか分かんないんだよな。

ナウなヤングたちよ、今日はそのへんの事を一緒に考えていこう。

 

「一生懸命、頑張って、何かに全力で取り組みたい」という気持ちはあるんだけど、何をどうすればいいのか分かんない。…それ、あるあるですよ、青春あるある。

ただ、ぼ~~っと生きてるだけじゃ満足できないっ!

何かに全力で打ち込んで、キラキラと輝きたい!

うん、

そう思いますよ、若い頃は私もそうでした。

いや、

つい最近までそうだったかな。

(謎のアンチエイジング・アピール)

 

逆に言うと、そういう「何かに打ち込みたい」という感覚があるうちは、「青春ど真ん中」と言っていいかもしれないね。

年齢に関係なく。

70歳になっても、80歳になっても、何か、ワクワクすることにのめり込んでいる人は、「青春」してるんだと思うね。

そういう人はキラキラしてますよ、うん。

好きな事に取り組んでいる時、人は輝いています。

それが、金儲けには結びつかなかったとしてもね。

 

むしろ、1円の得にもならないことに全力で打ち込んでいる人の方が、めちゃめちゃカッコいいかも知れない。

「金儲け」という大義名分がそこにはなくて、あるのはただ「やりたいからやる」という気持ちだけ。

そういう人の方が、キラキラ度が凄いかも知れない。

(感じ方には個人差があります)

 

 

結論を急ぐ前に。この問題を解消する方法を考える時、2つあると思うのよ、個人的には。

あくまでも個人的な意見ですけどね。

私はこう考えるわけです。

問題の解決方法はザックリ2パターン。

 

プランAは

「自分がのめり込める何か」を見つけて、それに打ち込む

という方法。

 

プランBは、

何にも打ち込んでいない自分の人生のことも「ま、いっか♪」と思って受け入れる

という解決方法。

 

 

分かり易く言うと、

例えば……

プランA

目の前のハードルを乗り越えるという方法

プランB

「ハードルを乗り越えなければならない」という思い込みを捨てる(飛び越えなくてもOK!と考える)という方法

 

 

まぁ、正攻法は「プランA」のほうですよね、言うまでもなく。

真正面から、問題を捉えて、乗り越えていくスタンス。

 

それに対して「プランB」の考え方は、

ひねくれてるって言ったら語弊がありますが、若干、「裏技」感がありますね。

「その手で来たか…」的な。

コロンブスの卵系。

 

ちなみに最近の私はほぼほぼ、何に対しても「プランB」で対応してる感じでしょうかね。

マイルールに自分を合わせるのではなく、自分にマイルールを合わせる。

自分自身に課すハードルの設定なんて、自分次第でどうにでもなるんだから。

世間体なんて気にしないで、好きに決めたらいいんですよ。

 

10センチしかジャンプできない人間が、1メートルの高さのハードルを設定すれば、死ぬほど苦労しても結局、飛び越えられないわけですよ。

「周りがみんな、1メートルに設定してるから、自分も1メートルを飛び越えよう」

って考える必要はないんです。

本当はね。

自分の人生は自分で決めりゃいいんだから。

でも、みんな学校教育で洗脳されてるからさ。

みんなと同じ高さを超えないとアウトだって思いこまされてる。

洗脳されてる。

コントロールされてる。

自分の頭で考えているようで、考えてない。

世間とか社会という得体の知れない何かが提示してくる価値基準を鵜呑みにしてるだけ。  

……まぁいいや、そのへんの話は。

また別の機会に。

 

 

え~~と。個人的にはね、まだ体力と精神力に余裕がある若いうちは、正攻法の「プランA」で、頑張った方がいいと思う。

その結果、派手に転んで、傷ついて、落ち込むこともあるかも知れないけど、それだって、実は貴重な経験になるんだよね。

その挫折に、意味が無いわけじゃないんだ。

むしろ、人間的な成長に不可欠かも知れない。

負けを知るって事。

その挫折が、人を強くするし、

敗北の味を知っているからこそ、人にやさしく出来るようになったりする、と思うんだよね。

連戦連勝、負けを知らない人間には、きっと深みが無い。

 

以前、テレビで観たんだけど、「神の手を持つ男」とか言われてる脳外科医?だったかな、そんな人が言ってたよ。

私はかつて、非常に傲慢だった。

金持ちの家に生まれ、成績優秀、子供の頃から挫折を知らなかった。

そのままエリート街道を歩んで、外科医になった。

最初の頃は、患者さんに対しても上から目線で接していた。

エリートの医者は、私に限らず人を見下している者が多い。

 

その天才外科医の人も、何かのきっかけで挫折したんだったかな?

心を入れ替える転機になったエピソードが思い出せない…。

手術が失敗して患者が死んじゃったんだったか、恩師に思いっきり説教されたんだったか、そんな感じだったかな。

 

まぁとにかくね、体力と精神力があるうちに、いっぱい躓いて、転んで、泣いて、絶望して、立ち直るという経験を積み重ねてきた方がいいと思う。

その後の人生の糧、という事を考えるならば。

ただ、立ち直れないほどのダメージを負う必要はないからね。

そのさじ加減は難しいだろうけどさ。

 

そうやって、何度も負けて、挫折して、自分自身のポテンシャルとか、キャパシティを知っていくんだろうね、人って。

ここまでならできる、これは無理だ、ってね。

 

そのうち、嫌も応もなく、自分の可能性に見切りをつけなければならない時が来るから。

自分は結局、大それたことなど何もできない凡人だった、とか、あるいは凡人以下だった、とかさ。

思い知らされる時が来るから。

それを悲観する必要は無くてさ。

誰もが通る道だからね。

ただ、受け止める。

それでいい。

 

だからね、どんなことであっても、できるうちは、やっておいた方がいい。

やりたくてもできなくなる日が必ず来るから。

 

チャレンジしたくてもできない日が来る前に、思う存分、チャレンジしておく事をおすすめします。

挑戦と、挫折は、できるうちにやっておきましょう。

痛みを知っておくことは、あとあと人生の財産になります。 

 

はい、ここでいったん、まとめてみようか。

考え方としては、プランAとプランBがありますよ、と。

Aは

自分が好きな「何か」を見つけて、それに打ち込む。

 

Bは

何にも打ち込んでいない自分の生き方にも合格点を付けてあげる。

 

と言う感じかな。

 

若い頃は、まずはプランAで頑張ってみる。

そして、

こりゃヤバいな、自分がダメになるな、って思った時には、すみやかにプランBに移行。

バランスとか、柔軟性が大事かも知れないね。

 

 

さて。いよいよ核心部分へ。「何か」を頑張りたいけど「何か」が見つからない時の「何か」の見つけ方。

問題はこれですよね。

 

自分の全人生をかけても悔いが残らない、と思えるような「何か」を見つけたいんだけど、どう動けばいいのか分からない、

という問題ね。

 

これはもうねぇ…。

動くしかないんだよねぇ…。

ホントに。

やってみるしかないのよ。

頭でいろいろと考えててもダメなんだよなぁ。

実際にやってみないと分からんのよ。

 

自分が子供の頃に、没頭したものを思い出すと、そこにヒントがある、っていう場合も多いんだけど、それにしたって、ヒントでしかないからね。

やってみるしかないのよ。

 

例えばね、

子供の頃のことを思い出してみたら、そういえば絵を描くのが好きで、ず~~っとクレヨンでお絵かきしていたなぁ…

とかさ。

こういうのがヒントになるんだよね。

 

でもね、子供の頃に一度もやったことが無いことかも知れないじゃん?

自分が本当にやりたかったことが。

 

だからね、とにかく、ちょっとでも自分のアンテナに引っかかったものは、何でもチャレンジしてみるのが一番間違いないです。

 

 

例えばさ、私も若い頃、何をしたいのか分かんなくてさ。

どう生きていけばいいのか全然、分かんなくなって。

出家して坊さんにでもなろうかな…とか思った時があって。

 

もともと、

より良い人生を生きるには、自分は何をすべきなのか?

って、ず~~~~~っと考えてて、宗教の本とかも読み漁ってたし、お寺の子供と仲良くなっていろいろ話を聴いたりしててさ。

それである時、

お墓を掃除するバイトをやってみたんだよね。

当時、東京に住んでたんだけど、都内のあちこちのお寺に出向いて、墓の掃除をするバイト。

お寺に出入りしていれば、坊さんとの接点があったり、あるいは、何か気づくことがあるんじゃないかな?って思ってさ。

 

いろんな寺に行ったけど、お茶やお菓子を出してくれる坊さんはほとんどいなかったなぁ。

挨拶もないし、まぁ、目も合わせてくれない感じっていうか。

そりゃそうか。

坊主が、自分で掃除しないで、バイトに掃除させるような寺だからなぁ。

 

メチャクチャデカい寺だと、お墓もメチャメチャ広くてさ。

何日も掃除するんだけど、その間に、和尚が真っ赤なフェラーリ的なスーパーカーを洗車してるのを目撃した事もあってさ。 

「儲かってるんだなぁ~このクソ坊主め。」 

 って思いながら、私は、落ち葉をかき集めておりました。

 

まぁ、そういう経験をして思ったのは

「坊さんになるのは辞めよう」

 ってことでしたね。

なんか違うな、って。

 

坊主だから立派、坊主だから人徳がある、ってことは全然ないな、って。

 

立派な坊主もいるし、

立派な八百屋もいるし、

立派な魚屋もいるなって。

 

坊主にならなくても、人生についての探求はできるな、って。

自分は自分のスタイルで、考えを深めていけばいいなって。

そう思ったので、坊主にはなりませんでした。

(ちなみに私は無宗教です。)

 

結局、こういうのも、とにかく実際に行動して、飛び込んでみないと分からないことでさ。

頭でいろいろ考えてるだけじゃ、それが自分が求めていたことかどうかなんて分からないワケよ。

とにかく、挫折してもいいから、失敗してもいいから、チャレンジしてみることですね。

そこに、気づきがありますから。

 

若いうちは、自分のアンテナに引っかかったことには、どんどん挑戦した方がいいと思います。

そのうち、「これだ!」ってのが見つかるから。

そのものズバリじゃなくても、「こっち方面だ!」ってのが分かってくるから。

 

相撲取りになりたかったけど、紆余曲折あって行司になりました、とかさ。

十種競技に取り組んだ結果、紆余曲折あってタレントになりました、とかさ。

 

ちゃんとね、行動すれば、ドミノが倒れるように次の展開が待ってますから。

脳内であれこれ考えているよりも、実際に行動した方が、間違いなく良いです。

バランスですから。

脳みそだけをメチャメチャ使うと、逆にノイローゼになったりするからねぇ。

 

BODY & SOUL 

ボディー・エンド・ソウルですよ。

あっ、間違った。

バディー・エンド・ソウルだ。

「ボ」よりも「バ」だね。

ってかどっちでもいいわ。

 

 

あっ。忘れてた。すごく言いたいことがあったんだ。

思い出した。

ガチで書き忘れたまま、ブログの「公開する」ボタンを押すところだった。

 

え~~とね、これだけ言っておきたい。

 

長い目で見ると

「やりたくないことに頑張って取り組む」よりも

「本当にやりたいことを全力で探すこと」に

時間と労力を費やしたほうがいいです。

 

人生、一回きりだから。

やれるだけのことは全部やった、という満足感さえあれば、たとえ何一つ成し遂げることができなかったとしても、悔いは残らないからね。

 

では。幸運を祈ります。グッドラック!