何も持っていない人間は、どう戦うべきか?(後編)
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いよいよ「何も持っていない人間は、どう戦うべきか?」の完結編です。
前回、前々回のおさらい。
軽くおさらいしておこう。
まず最初に、人生というゲームでは、最初に配られたカードを駆使して勝負しなければならない、という話をした。
最初から「ストレートフラッシュ」が完成してるヤツもいれば、「ワンペア」さえできていないヤツもいる。それぞれのスタートラインは、実は同じではない。
次の話では、最初に配られたカードがブタ(役無し)だったとしても、自分自身の「価値体系」を根本から変革することで、人生をエンジョイする事も可能なのだと説いた。
と、同時に、NHK「将棋フォーカス」MCの伊藤かりんの魅力についても言及した。
そしていよいよ今回、「何も持っていない人間は、どう戦うべきか?」について、ヒントとなるであろうオレなりの戦い方を公開する。(無料)
前回、前々回の記事を読んでもらえば分かると思うが、一応、もう一回言っておこう。
(多くの読者は最新エントリーを読むだけで、過去記事を遡らないからな)
まず、誰かが作った物差しを捨てるという事。
例えば、こういう事だ。(あくまでも参考例)
- 貧乏よりは金持ちの方が良い、という価値観を捨てる。
- 貧乏だと十分な医療が受けられないから不幸だという考え方も捨てる。
- 病気よりも健康体の方が良いという考え方も捨てる。
- 健康じゃないと長生きできないからいやだ!という思いも捨てる。
- 長生きの方が早死によりもマシ、という考え方も捨てる。
そういった、
誰かが作った価値観を全部、根本から覆していく。
自分に見合った「自分だけのオリジナルの価値体系」をゼロから構築していく。
誰かのモノマネではない、完全オリジナルな「THE・オレ」の生き方を創り出していく。
完全に奴隷化されてしまった人間には、相当、難儀な作業だ。
日本の学校教育は「同じ規格のロボットを大量生産するのに適した」最高のシステムだ。
誰にとって最高かって?それは国を治めている連中だよ。
国民が似たり寄ったりのロボットでいてくれれば、扱いがすごく楽だからな。
国民全員が言いたいことを正直に言って、それぞれが個性を発揮する国なんて、統治する者から見れば大迷惑な話だ。
みんなに個性があると、あやつりにくいんだよ。
例えばオレは、こう考える時がある。人間の価値は何で決まるのか?
まず言っておきたいのは、絶対的な真理なんてものは無いって事。
オレの答えとお前の答えが同じなんてことはあり得ないし、あっちゃダメなんだ。
人の数だけ「それぞれの真理」があると思っていた方が良いだろう。
たまに「絶対的な真理を知っている」という人間がいるが、みんな胡散臭い。最終的にはお布施を要求してくる。ただのビジネスだ。
オレの言うことを絶対に鵜呑みにするな。
自分自身の頭で考えて、行動し、体験し、失敗し、痛い目にあって「自分だけの答え」を導き出せ。
パクるな。コピペで済ますな。
難しい本を読んで「理解した」と勘違いするな。
さて。このくらいでいいかな。
では話そう。
オレはね、時々、こう思う事がある。
人間の価値について。
ひとつは「人間の価値に優劣なんて無い」という考え方。
そしてもうひとつは、
「人間の価値は誰かの魂をどれだけ揺さぶったかで決まる」のではないか?
という考え方。
どちらが絶対的な正解という事でもないし、正解を決めるべきではない気もするしね。
何度も引き合いに出すが、タイラーダーデンはこう言っている。
仕事の中身でお前は決まらない。預金残高とも関係ない。持ってる車も関係ない。財布の中身も関係ない。クソみたいなファッションも関係ない。
今まで、親や、先生や、社会が我々に突き付けてきた価値観はこうだった。
お前の価値は
職業や肩書、預金の残高で決まる。
お前の価値は
乗ってる車のグレードや、財布の中のゴールドカード、
身に付けた高級ブランド品や、連れて歩く女の容姿で決まる。
こうやって、オレたちは延々と洗脳され続けてきた。
でも、よかったな。
このブログを読んでいる諸君。
ようやく気付けただろ。
カネ?肩書?
そんなモノは全部クソだ。
お前の価値は、そんなもんじゃ測れない。
誰かの魂を揺さぶることが出来れば、お前は人生の勝利者だ。
たとえ1円の利益さえ生み出す事が出来なくても、お前は負け犬なんかじゃない。
自分自身の生き様で、誰かに何かを伝えろ。
誰かの魂に届けろ。揺さぶれ。
人生に勝利するってのは、そういうことだ。
1円の得にもならない事に全人生をかけた人々は、それだけですでに勝利者だ。
誰かを感動させるだけのチカラを持っているからな。
(100回読め↓)
画家のゴッホは、ただのニートだった。絵が全然売れなかったからな。
ゴッホの肩書は何だろう?
画家?
生前、絵なんて全然、売れなかったのに?
生活費は弟のテオに出してもらってたのに?
今風に言えば、ただのニートだよ。
しかし、ゴッホには価値がある。偉大な男だ。ニートだったけどな。
ゴッホの絵が死後、50億円で取引されているから、ゴッホに価値があるのではない。
世界中のニートや生きづらさを抱えている人々に、勇気を与えるような「全人生をかけた」生き方をしたから、ゴッホには価値がある。
オレは、そういう風に思ってるよ。
オレが考える人間の価値ってのは、そういう感じかな。
オレは、どんなやりかたで、誰かの魂を揺さぶれるだろう?勇気を与えられるだろう?
オレは、何も持っていない。
地位も、名誉も、カネもない。
根性も、勇気も、行動力も何もない。
学歴も、優秀な頭脳も、コミュニケーション能力もない。
オレにできることって何だろう?
オレはただ、他の人よりも20年くらい長く部屋に籠って、あるいは乞食のように放浪して、毎日毎日「人生とは何か?」って考え続けてきた暗い過去しかない。
オレには何もない。
何も持っていないからこそ、できる事って何だろう?
結論。
オレにできる最も大きなミッションは「全力で人生を謳歌する事」だ。
これ以上ないっていうくらい、人生をエンジョイすることだ。
何も持っていなくても、人生は素晴らしい!こんなに楽しめるんだ!人生って捨てたもんじゃない!人生って最高!!
そういうことを、表現していくことだ。
金持ちのイケメンが「人生最高」って言っても、誰の心にも波風さえ立たないが、
何一つ持っていない人間が、それでもなお、人生を最高に楽しんでいる姿は、きっと誰かの「気付き」になるはずだ。
今、人生に苦しんでいる誰かが、
「何もない人でもこんなに人生を楽しんでいる。それなら僕もきっと楽しめるはずだ」
…って思ってくれたら幸いだ。
オレはそのためにブログを書いているんだからな。
これがオレの戦い方。
何も持っていないオレの戦い方だ。