今日はちょっと調子が悪い。
歳をとると気力も体力も衰えてきて、出来ることがどんどん少なくなっていく。
否も応もなく、生活のスタイルを変えざるをえないし、手放さなければならないものが増えていく。
最近よく思うのは、今持っているモノをどう捨てるか?ということだ。
私はモノを持ち過ぎている。
貧乏性ってことなのかも知れないが、
「もったいない」と感じてしまうので、なかなか捨てることが出来ない。
老いると自動的に「欲」は減っていく。特に捨てるための修行をする必要はない。たぶん。
昔、何かで読んだ気がする。
偉い坊さんが語った話だ。
歳をとると、様々な「欲」が小さくなっていく。
食欲も性欲も、あえて捨て去らなくても、年齢を重ねれば勝手に無くなっていく。
ただ、
「どこぞの寺にとんでもなく立派な坊さんがいるらしいぞ」
という
うわさ話を聞いた時には、どうしても心がざわつくという。
「えっ!?その立派な坊さんって誰よ?俺のこと?それとも別の坊さん?」
自分の中の「名誉欲」は、老いてもなお健在、この欲だけはなかなか捨てられない…
という話。
普通の坊さんではなく、「偉い」坊さんなら、なおさら、地位とか名誉には執着しちゃうのかも知れないね。
ちなみに、地位にも名誉にも無頓着だった、良寛さん。
そういえば思い出した。
この記事を公開した後、「良寛のことをコミュ障呼ばわりするな!」という声がいくらかあったようですが、私にとってはそんな枝葉の部分はどうでもよろしい。
言葉じりを捉えて、ああだこうだ言う者の相手はしない。
そもそも本当に良寛のことをリスペクトして「良寛LOVE」な者なら、他人のブログをバッシングするような真似をするはずがないからだ。
そんなのは良寛が嫌う行為だ。
昨日、こんな言葉を見つけた。
英語の問題集の例文を和訳した一部分らしい。
痛快すぎる…。
否定的な批評を行うことは容易である。なぜならば、どんなものでも、じっくりとよく見れば欠点を見つけることは常に可能だからである。もっぱら欠点に注意を向け、価値あることを無視することはしごく容易である。
しかし批評の主たる魅力は、批評されているものよりも批評している者のほうが偉く見えることである。批評することは極めて容易なので、それはしばしば、他のいかなる方法によっても人の興味を引くことができない凡庸な輩の避難所となる。
100パーセント正しいものなど無いのだから、 どんなものにでも、文句をつけることは可能だ。
本筋から離れている部分へのバッシングは控えましょうね。
さて。過去記事の宣伝はこのくらいでよかろう。
マツコ・デラックスの番組だったと思うが、街行く人々に「あと数日で地球が滅亡するとしたら、どうする?」というようなインタビューをしていた。
詳しいことはハッキリ覚えてないけど、確か、
「あと数日で地球に巨大隕石が落ちてきて人類が滅亡するとしたら、残りの数日、どうしますか?」
みたいなインタビューだったと思う。
(違ったらゴメン)
中学生くらいの少年は
「万引きしまくる」
と語っていた。
20代前半と思われるギャルは
「全裸で街を歩く。オラ!かかってこいや!みたいな。」
といった内容の回答。
なるほど。
青春ですねぇ~。
欲望に忠実といいましょうか。
では、街ゆくじいさんばあさんは、何と答えたか。
老いぼれたちは、
「いや~…特に。今まで通り過ごすかなぁ…。」
というような答えでした。
残り1週間で地球が滅亡すると知ったところで、そんなことは自分の人生に何の影響も与えないのです。
もう死ぬ準備できてるからね。
日々、スタンバイOKだから。
この感じって、若いうちは理解できないだろうし、理解すべきじゃないと思うね。
あえていうなら、死がチラついた時に焦ったり、足掻いたりするのって、若さの特権ですよ。
若いうちは、そうでなければならない。
それって、
自分の可能性を信じてるってことでもあるんだから。
もっとあれがしたい、これがしたい。
そういう欲求が、何かを成し遂げるための原動力でもあるわけだからさ。
だから私ね、最近、こういう風に思うんです。
若いうちは、安易に答えを手に入れない方がいい。
ゴールへたどり着くのは、もっと後でもいい。
…って。
「自分の答えをまだ見つけていない」ということは「まだまだ伸びしろがある」ということでもあるんじゃないのか?
私はよく、
「自分にとっての答え」を持っていることが大事。そうすればブレないよ。
的なことを言っちゃうんですがね。
たとえばこんな感じで。
「誰かに必要とされているか?」「社会に貢献しているか?」
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年10月8日
そういう物差しで自分自身の価値を測っている人間は「他者ありき」で生きているので軸を持てずにブレやすい。
自分の人生を誰かに丸投げするのは、自分に対して失礼な行為だ。もっと自分を愛して認めてやれよ。自分が気付くしかないんだ。
いろんな人のアドバイスを聞けば聞くほど混乱してくるよね。当然だけど全員、言ってる事が違うから
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年6月1日
本をたくさん読んだ方がより良く生きられる?そんなことは無いと思うよ
十冊より百冊、千冊、1万冊?読めば読むほど立派になれる?
迷ったら自分の外に答えを求めず自分の内側に問いかけてみよう
確かに「自分だけの答え」を持つと、ブレなくなるんですけどね、同時になんというかなぁ、かなり「頑固」になっちゃう可能性もあるんですよね。
柔軟性が無くなってしまうというか。
ここは難しいところなんだけど。
歳をとると、
「これが俺の生き方なんだ、俺にとっての正解なんだ」
っていうのが、おのずと見つかるんだけど、そうなると同時に、考え方に柔軟性が無くなっちゃう危険性があるわけだ。
逆に言うとね、
まだ若いうちは、自分の中に核となる価値観、価値体系、みたいなものがないから、本を読んでそっくりパクったり、雑誌の真似したり、ネットで拾ったライフハックを鵜呑みにしたりして、
いわば「借り物の答え」で自分自身を形成する場合が多いんだけど、
その時、ブレブレでヨワヨワでもろくて頼りない状態なんだけど、伸びしろは、無限にあるわけよ。
新しい何かを吸収する余地、余白はめっちゃある。
人間として成長できる圧倒的な可能性を秘めているわけ。
そう考えるとですよ。
自分の可能性に見切りをつけて、安易に答えを見つけようとしない方がよくね?
人間的な成長を望むなら、苦しいけれども、 簡単にゴールにたどり着こうとせずに、旅を続けるべきなんじゃね?
という風にも思えてくるわけですよ。
これはもう、人それぞれだから、万人にとっての明確な正しい選択なんてものはないんだけどさ。
先日のエントリーでも書いたけど。
各自がそれぞれ自分だけのレースに挑んでいるようなもんだからさ、答えも様々で全員が違うゴールを目指しているような感じなんだよね。
恐ろしい…。
5月にも同じような事を書いていたことを今、発見した…。
ちなみに私は、もう自分自身に対して人間的な成長なんて期待していません。
でも、そう開き直ったことで、精神的に安定してきて、結局、一皮むけたような気もしてるんだよなぁ~(笑)
まぁ、今後もマイペースでやっていきます。
成長するかもしれないし、しないかもしれない。
そんなことよりも、人生の残りの時間を、精一杯、アホみたいにエンジョイしたいと思います。
「何度も人生に絶望しかけた私みたいな人間でも、なんだかんだで、こんなに人生を楽しめるようになったよ!
だから今、この世は地獄だなって思って必死に生きてる君も、自分の可能性をあきらめんなよ!」
という思いを言葉ではなく、自分の生き様で伝えるには、私自身が毎日楽しく生きるしかないっつ~ことで★