ワシはエモいブログを読みたいんじゃ。
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「エモい」っていうのは、「エモーショナルな」という意味らしい。
エモーショナル、すなわち感情的とか情緒的、というような感じ…らしい。
どういった場面で「エモい」を使用するかは、厳密な定義はないようだ。
ざっくり適当でOK。
自分がエモいと思えば、それはエモいのだ。
私は、エモいブログが読みたい。
元来、個人のブログなんてものは、どれもこれもエモかった…のではないか。職業ブロガーが誕生するまでは。
もともと、ブログなんてものは、個人の日記みたいなもんで、「誰かにとって有益であること」なんて意識せずに、自分の心の中にあることを自分のスタイルで好きなように書けばよかった…はず。
知らんけど。
そこにはお金のやりとりとか、仕事の要素なんてものはほとんど介在していなくて、あるのはただ、魂の発露だけ。あるいはそれがメインだった…はず。
知らんけど。
いわば、魂の叫び。
ソウルフルでこそ、ブログ。
・・・・・・
そういう時代が過去にはあった…はず。
知らんけど。
時代は変化し、ブログは金儲けのためのツールに成り下がってしまった…などと悲観する気持ちは毛頭ない。
百人いれば百通りのブログ論があって良い。
各自が好きなようにやればよろしい。
ただ私は個人的に、エモいブログを読みたい、と思っているだけのことなのだ。
あくまでも、個人の趣味の問題。
私は、マニュアルに沿って丁寧に書かれた「大学生のうちに読むべき良書100選」的な、ありがちなライフハック風の記事なんて、個人のブログに求めてはいない。
そういうのは、そういう記事を書くプロの人が書けばよろしい。
と、思う。
ちなみに「◯◯すべき△選」的なテンプレート?を私もふざけて活用することがある。
もちろん、有益な情報をお届けしようなどとは思っていない。
エモくない記事、正しい情報のみで構成されている有益な記事、そんなものを個人ブログに求めてどうすんだ?
…と私は思っている。
個性を発揮してナンボ、書いてる人の人間性が暑苦しいくらいに露出していてナンボ、そんな気がする今日この頃なのである。
2XXX年、どす黒い経済至上主義に覆われた日本社会に、ブログ成金が誕生する…。
ブログでビッグサクセスをゲットした!と豪語する者が現れ、続いて、そこへ便乗しようと飛びつく者が現れる。
結果、ブログ塾的な何かの影響を受けた真面目な人々が運営する、教わったマニュアルに従順な、似たり寄ったりのブログが大量に出回る…。
なんていうことになってしまうのではあるまいか。
いや、知らんけど。
他の人のブログ、あんまり読まないから。
っていうか、今、ふと思ったけど。
このブログ「自由ネコ」にも読者っているのかな?
大丈夫なのか?
いないんじゃね?
マジで心配になってきたわ。
そもそも、このブログを読むメリットが全くないからな。
書いてる自分にもメリット無いかも。
・・・・・・何やってんだ、オレ。
我に返っちゃダメだな。
真夜中のラブレター状態。
なんかもう、勢いで最後まで押し切らないとダメだ。
エモいブログを探し出す事に命を懸けた、通称「エモブロKGB」の発足に期待。
カツラをかぶっている芸能人をあぶりだすための組織「カツラKGB」の存在は、皆さんもご存じだろう。
世の中には、様々な職業があるものです。
私は、まだ世に出ていない、光を浴びていない、暗闇の中でくすぶり続けているエモくてソウルフルなブログを発掘する、いわば「エモブロKGB」の発足を心から願ってやまない。
誰か、やってくれ。
誰か、エモいブログを発見したら、私に教えてくれたまえ。
「ネコさん、ここにエモいのありましたよ!」って。
【エモブロあるある】エモいブログを書いてる人は、エモいがゆえに、淡々とブログを続けることが出来ない。
エモーショナルな、熱いブログを書いている人は、その熱さゆえに、ブログの更新を辞めてしまうケースが非常に多いような気がする。
すなわち。
激アツな状態でブログを書き始めたとしても、いずれ、その温度が冷めてくる。
最初の温度を維持できないのだ。
そうなってきた時に、ブログの中の人は、変化に対応できずに、更新自体をあきらめてしまうケースが多々あるように思う。
冷めちゃったときに感じる、「祭りの後の静けさ」的な。
その空気に耐えられないのだ。
もともとクールに淡々と、割り切ってブログを書いている場合は、調子の波が押し寄せてくる事も少ないだろうが、
テンションが高い時に「ウェ―――イ!」って言いながらブログを書いちゃうと、あとでどうしようもない状態に陥ってしまう。
「あれっ?ここはどこだ…?」
・・・・・・
正気に戻ってしまう。
そんなわけで、エモいブログをひたすら書き続けることが可能な人間は、ほんのわずかしか、この地球上に存在していない。
ちょっとだけエモブロ書いて死んでいった人なら大勢いるけど。
個人的には、目指すならそこだな、という気がしている。
生存戦略。
エモブロガーは、ライバルが少ないのだ。
たぶん。
スキマ産業的な生き残り方が可能。
あるいは、希少価値というオマケが付いてくる。
率直に申し上げます。
自分で何を書いてるのか、よく分からなくなってきております。
自動筆記状態。
エモいブログを書くのは大変だけど、意外とツイッターならエモい人、多いよね?
最近っていうか今日、気づいたんだけどさ。
ツイッターってエモい人にとっては、すごく便利なツールじゃね?
「魂の叫び」なんて、140文字で十分かな、っていう。
逆に「ブログで、魂削って3000文字書け」って言われるとほとんどの人は「無理!」ってなる気がするけど。
類は友を呼ぶ、的なこともありますしね、私がツイッター界隈で親交のある人々は、エモい人、多いような気がします。
まぁ親交って言ってもフォローしてる(もしくはされてる)くらいなんだけど。
ブログみたいにビジネス目的のアカウントじゃない人が多いからかも。
利益どうこうじゃなくて、言いたいことがあるからつぶやいてる、的な。
結果、おのずとエモくなりますよね、的な。
そういう意味も含めて、ツイッターの方が「中の人」の人間性が現れるのかもね。
最近は「エモさ」を求めて、ブログではなくツイッターを眺めている時間が増えましたね、私の場合。
類は友を呼ぶ。
エモはエモを呼ぶ。
私もどんどん、エモい事つぶやいていこうと思います。
まとめ。エモい人、エモいブロガー、エモいブログを知ってる人、twitter(ツイッター)から連絡ください。
とりあえず、今、ひとりで孤独にエモエモしてる人は、twitter(ツイッター)始めてください。
それで、叫べ。
「女にフラれた~~~!!」
でもいいし、
「眠い~~!!」
でもいい。
「生きるってなんでこんなにキツいんだ!!」
とかさ。
全身全霊を込めて、つぶやけ。
確実に、自分と同じような人間が他にもいるから。
ツイッターやってるうちに、共感できる人と繋がるから。
そのうち、もっと自分を表現したくなったら、ブログを始めてみたらいい。
採算度外視で、見返りを期待せず、ありのままの自分を表現するといい。
続けていれば、いずれ理解者も現れるでしょう。
参考になるような気もするし、ならない気もする過去記事。
ということで、今回も全然まとまりませんでした。
いつものことです。
おすすめのエモいブログを知ってる人、連絡ください。