なぜ被災して亡くなった高校3年生はすぐに避難しなかったのか?

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素朴な疑問です。どうして、被災して亡くなった高校3年生は、逃げ遅れたような形になってしまったのでしょうか?

逐一、ニュースを追っている人なら、事情を把握しているかも知れませんが、そうではない人は、訳を知りたい、理由を知りたい、そう思っているのではないでしょうか。

ニュースをあまり見ない私もそのひとりです。ちょっと検索して調べてみました。

 

同級生らが捜索活動に参加とか、阿部祐二リポーターの母親へのインタビューがどうだとか、そういう情報は出てくるが…。

私の調べ方がいけないのか、なかなか、高校生が避難しなかった理由、あるいは避難できなかった理由、避難が遅れて?土砂に巻き込まれてしまった理由などは見つかりません。

 

ちなみに、今回の大雨によって亡くなった方々の多くは高齢者だ、というような話は目にしました。これはね、なんとなく分かるじゃないですか。

 

実際に、病気だとか足腰が弱っているとか、健康上の何らかの理由で避難ができない、あるいは避難が遅れる、というのは容易に想像できるケースですが、さらにもうひとつ。

高齢者による過信というか。おごりというか。そういったケースが考えられますよね。

 

実際にインタビューでも助かった方々が答えている映像を見ましたが、「今まで大丈夫だったんだから、今回も大丈夫だと思った」とか、「今まで災害に遭ったことが無かったので、これからも災害に遭うはずないと思っていた」みたいな。

 

助かった高齢の方の中にさえも、そういう方々が結構いたようですから。当然、逃げ遅れた方々の中にも、結構いたのではないでしょうか。

 

近くに住んでいる家族から「避難しなよ」と連絡を受けても「大丈夫大丈夫。私は避難しないよ。」の一言で片づけてしまって亡くなってしまった方もいたそうです。(息子さんがインタビューに答えていました)

 

長く生きてしまったがための過信というか、慢心というか。その「自分は大丈夫に決まっている」という思い込みが、被害に繋がったケースは少なくないのではないでしょうか。

 

これは、自動車の運転に関しても、同じようなデータがあったはずです。

 

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これは、自分の運転テクニックであれば、十分危険を回避できるかどうかということに関して、イエスと回答した人の割合ですが、今おっしゃられたとおり、70歳を超えるとぐんと上がってまして、75歳以上の方では、実に53%に達しているということです。

運転し続けたい ~高齢ドライバー事故の対策最前線~ - NHK クローズアップ現代+

 

なんという皮肉。

人間は、年を取ればとるほど、「自分が交通事故を起こすはずがない」と思い込む。

実際にはその逆なんですけどね。

 

これはですね、長年の経験から、交通規則よりも自分の経験則を重視してしまっているというようなことですね。
今まで自分の経験を重視して、大きな事故に遭ったわけでもなかったと。

 

この、「今まで大丈夫だったんだから、これからも大丈夫」という根拠のない自信が、高齢ドライバーの事故を増加させている面は多いにあると思います。

 

大規模な災害に関しても、人生のうちに遭遇する回数なんておそらく1回あるかないかです。

それを「今まで自分は被災していないんだから今後も被災しないはず」で片づけてしまっては、どうしようもありません。そりゃ逃げ遅れますって。

 

まぁとにかく、災害時に高齢者が逃げ遅れるケースが多い、というのはある程度、納得できる理由がみつかりました。

 

気になるのは、どうして今回、高齢者ではなく、高校3年生が逃げ遅れて亡くなってしまったのか?ということです。何故なんでしょう?

 

 

発見。おそらくこれが関係しているのではないか。今年2月に完成したばかりの治山ダム。

答えというか、ヒントはこれなんじゃないかと思います。

 

土砂災害対策として4750万円かけて建設され、今年2月に完成した治山ダム。

 

2014年、広島市内で77人が死亡した土砂災害を経て、同市安芸区に今年2月に完成したばかりの治山ダム。しかし、西日本豪雨で大量の土砂がダムを越え、団地の住民4人が亡くなった。ダムの建設を10年以上、要望してきた男性の18歳の孫も行方不明に。「ダムができて安心してしまったんよ」。やりきれない思いが消えない。

孫を守れなかった…長年の悲願、そのダムすら越えた土砂:朝日新聞デジタル

 

なんという皮肉。なんという運命のいたずら。

 

亡くなった高校生、植木将太朗さん(18)の祖父、神原(かんばら)常雄さん(74)は、10年以上前から土砂災害の危険性を訴え、この地域に砂防ダムを建設することを強く訴えていました。

 

神原さんは、何度も何度も市役所に足を運び、「砂防ダムを造ってほしい」と訴えつづけました。

 

そしてついに神原さんの熱意は行政を動かします。

 

昨年8月、県は予算4750万円をかけて土石流を未然に防ぐ「治山ダム」の建設に着手。

 

その結果、今年の2月ついに念願だった「治山ダム」が完成!

したのですが・・・

 

いやいやいや・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・

 

10年以上前から、危険な地域だと分かっていたと。

 

分かっていたから、砂防ダムの建設を要求していたと。

 

念願かなって今年、治山ダムが完成したと。

 

「よし、これでもう安心だな」ってちょっと気持ちが緩んだんでしょうか。

 

ずっと土砂災害の危険性を訴えていたはずの神原さんのお孫さん(高校生)が土砂に飲み込まれ亡くなってしまったと。

 

いや・・・・・・。

 

非常にやるせないです。

 

団地が土砂に襲われる数時間前の、今月6日午後。神原さんは高校の期末試験を終えた孫の植木将太朗さん(18)を車で迎えに行き、同じ団地内の孫の家まで送った。

 夜になり、雨が強まった。孫の家は50メートルほどしか離れていないが、山の斜面に近い。外出していた将太朗さんの母親に電話し、将太朗さんを自分の家に避難させるよう伝えた。「すぐに行かせる」と返事があった。

 その数分後、「ドドーン」という音が響いた。外を見ると、土砂が崩れ、山側の家々が潰されていた。

 

しかも、孫の植木将太朗さんを、危険な地域にある家まで、神原さん自身が車で送り届けたとか……。これ、悔やんでも悔やみきれんでしょう…。

 

嫌な予感がしたんでしょうかね、神原さんが「孫をオレの家に避難させろ」と将太朗さんのお母さんに電話した数分後に土砂崩れですか……。

 

う~~む………。

 

こんなことってあるのか……。

 

 

治山ダム建設の前、県や市の職員が言ってたそうです。

着工直前に団地の集会所で開かれた説明会。「これで安心じゃね」と住民らが言葉を交わす中、県や市の職員が繰り返しこう訴えていたのを、神原さんは覚えている。

 「これで安心できるわけではありません。何かあったら必ず逃げて下さい」

 

神原さんは振り返ります。

「いくら役所の人に『安心しちゃいけん』と念押しされてもね、やっぱりダムができてうれしかったし、安心してしまったんよ」

 

これねぇ……。

 

高校生の将太朗さんが逃げ遅れてしまったことと、治山ダムが完成したことで安心してしまったこと、無関係ではないような気がしますね…。

 

もし仮に、ダムが完成前だったら?

当然、危険な地域にある家に、神原さん自身が孫を送り届けることは無かったような気もしますし。

 

う~~~ん……。

 

非常に、なんというか……。

 

なんといっていいのか分かりませんね……。

 

 

我々は、今回のことを教訓としなければならない。そんな気がします。

我々は学ばなければならない。

被害に遭った方々の経験から、得るものがあるはず。

 

自分には関係ないとか、自分は大丈夫とか、そんなんじゃなくて。

全部、他人事なんかじゃなくて。

 

「今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫」なんてことはなくて。

 

安心しすぎない。油断しすぎない。常に備える。

 

亡くなった方々のご冥福をお祈りします。