【改定版】このブログについて(あるいは現在の私の立ち位置)
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先日、2時間くらい歩いてたんですよ。
健康のためと、交通費節約のためと、あとは乗り物とか人混みとか嫌なんでね。
考え事をしながら長く歩くと、頭の中が整理されていいですね。
いろいろとハッキリしてきました。
自分が、ブログやツイッターを通して何をしようと思っていたのか。
逆に言うと今までは、自分が何をしたいのかもよく分かってなかったんですよね。
まぁ、それはそれで全然OKなんだけど。
どうせ後付けの理由なんて特に意味もないしね。
なんとなく分かっていたことなんだけど、よりハッキリしたこと。自分はこのブログを通じて、何を伝えようとしているのか?
「小銭を稼ぐ」とか「人気者になる」っていうのは、一般的にはアリがちな目標なんだけど、私としてはそういうのって、ブログを続ける動機としては、全然弱いんですよ。
相変わらず、アマゾンのアカウントを作る気力が湧かないし、アドセンス広告も2個しか貼ってないしね。
今のところ「はてなPro」に申し込むつもりもないし。
グーグルアナリティクス(アクセス解析)も、サーチコンソール?も導入してない。
現在の読者数が何人なのかも知らない。
正直な話、特にこれと言った目標なんてないんですよ。
全部なりゆきです。
適当です。
「あるがまま」です。
特に何か考えがあって書いてるわけじゃなくて、その日、その時の思いつきを綴っているだけですからね。
言っちゃうと、思いっきり「ひまつぶし」です。
ただしひとつだけ。
時々ちょっと意識してることがあって。
それが、
生きづらさを抱えている人たちをちょっとだけ応援したい、ってことなんですよね。
何か大それたことをしようとは思ってなくてね。
先日の記事で言うと「追い風1.8メートル」であればいいかな、って感じ。
追い風2.0メートルなら、間違いなく走りに影響が出る。
逆に
追い風2.0メートル未満なら、影響あるっちゃあるけど無いっちゃない。
すなわち、
追い風1.8メートルは、目に見えて明らかな後押しとは言えないけれど、限りなくそれに近い風
ってことなんですよね。
とぼとぼと歩きながらいろいろ考えていたら、ものすごく腑に落ちた。何かがハッキリした。人は皆、孤独なランナーだ。
ここからは「たとえ話」ね。
たとえるなら人生ってさ、ある意味、長い長いレースを走っているようなもんだと思うのよ。
死ぬまで続く、孤独なレース。
あえていうなら「ライバルは自分自身」ってことになるのかな。
自分と同じレースに参加している人はいないわけね。
みんなそれぞれ、スタート地点も、ゴール地点も違うわけ。
コースの設定も各自で決める。
難易度も総距離も、すべては自分次第。
電車で移動してもいいし、途中で飛行機に乗ったっていい。
ある人は「社長になること」をゴールに設定しているかも知れないし、
別のある人は「幸せな結婚」をゴールと考えているかも知れない。
みんなバラバラ。
それぞれの人生、それぞれのレースに取り組んでいるんだ。
たまたま走っている時に偶然、誰かと並走しているような状態になる時もあるよね。
そういう時は、となりを走っているランナーと同じレースに参加しているように錯覚してしまうこともある。
前を走っているランナーを追い抜いた時、優越感に浸ったり、
後ろから来たランナーに追い越された時は、嫉妬したり、自己嫌悪に陥ったり。
でも実際は、スタート地点も、スタートした時刻(日にち)も違うし、ここまで辿ってきたコースも別なんだ。
今はとなりを走っているランナーだって、いずれは別の道を選ぶことになるし、ゴール地点も別なんだ。
本当は、順位なんて関係ないんだよね。
だって「自分の人生」というレースは自分だけのものなんだから。
勝ちも負けもないんだ。
他人と自分を比較して一喜一憂するのは辞めて「自分を活かす方法」をもっともっと真剣に考える。誰かの真似じゃなく自分オリジナルの生き方を見つける。世界中で自分だけが取り組んでいる競技なら、いつだって1位だし同時に最下位だ。順位は関係ない。ただひたむきに取り組む事だけが大切になる
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年6月1日
私は「人生とは死ぬための準備を整えるための猶予期間」だと考えている。ゴールとは死ぬ準備が出来ること。
他の人々がどう考えているのかは知らないが、私にとって人生とは死ぬための準備を整えるために与えられた時間だと思っている。
「明日死ぬとしても悔いはない」
そう言い切れる状態がひとつのゴールなのではないかと考えている。
しっかり生きた。
全部、出し切った。
もう思い残すことは無い。
納得した。
これでいつでも死ねる。
一片の悔いもない。
・・・・・・
そういう風に、心底思えるようになるための準備期間が人生なのだと考えている。
この準備をおろそかにしてしまえば、100年生きようが、200年生きようが、死ぬ間際にジタバタとあがくことになる。
まだやり残したことがある。
もっとあれをやりたかった。
あれも欲しかった、これも欲しかった。
今死ぬわけにはいかない。
もうちょっと待ってくれ。
・・・・・・
せっかく与えられた人生という名の猶予期間に、ちゃんと死ぬ準備をしていなかった者は、死に際に後悔することになる。
そして、やるべきことをやっていなくても、誰にも等しく「その時」は訪れる。
だから人は「いつ死んでもOKだ」と思えるようになるまで、必死に、精一杯、生きなきゃならない。
少なくとも、私はそう思う。
私は若い頃からずっと自問自答していた。
「今、死ねるか?」
「この生き方で、本当に満足か?」
「心から納得して死を迎えられるか?」
答えはNOだ。
「こんな生き方をしていたら絶対に死に際に後悔する…!」
ハッキリと分かることはそれだけだった。
出口のないトンネルの中を進むように、何十年も模索し続けた。
長くなるので今回は端折るが、
私には戻りたい過去など無い。
だからこそ、今、毎日のように
「今日は自分史上過去最高の一日だ」と感じられるんだろうけど。
私は、今の相方(通称・大福)に出会った時、ハッキリと感じ取った。
自分が求めていたものが何だったのか。
私は、ゴールにたどり着いたのだと理解した。
今日と同じ明日、
明日と同じ明後日、
そんな毎日の繰り返しだとしても、私には何の不満もない。
そう思えた瞬間、自覚できた。
これでようやく、
死ぬための準備は整ったのだと。
私は、ゴールしたのだ。
ゴールした後に待ち受けていたもの。オマケみたいな残りの時間をどう使うべきなのか?
私は、自分がどうしても必要としていた存在に、出会うことができた。
もはや、これ以上、特に望むものはない。
カネにも地位にも名誉にも、重要な価値を見出すことができない。
ソウルメイトの「大福」の前では霞んでしまう。
私には、次のレースを始める意義が見いだせなくなってしまった。
欲張る気にはなれない。
貪欲に、強欲に生きることは自分が目指す生き方ではない。
可能な限り欲を捨て、シンプルに生きることを望んでいた自分にとっては、もはや、手に入れたいものが見つからなかった。
連日連夜、大福を相手に、キャッキャウフフと遊びほうける日々。
特に不満もない。
なんだかんだで10年くらい一緒にいるが、いまだに全然飽きない。
大福も私も、1ミリたりとも進歩してないと思うが、進歩したいとも思っていない。
違う自分になりたいという願望が微塵もなければ、現状維持でOKなのだ。
ある意味では、私はすでに死んでいるのかも知れない。
今、自分がいる場所を天国のお花畑のようにさえ感じているのだから。
いい意味で廃人と化した私はキャッキャウフフな日々の中、ふと、あることに気づいてしまった。
周りを見渡してハッとした。
みんなは、まだレースの真っただ中にいるではないか…!!
誰もが「人生という名のレース」にひたむきに取り組んでいた。
私は思ったわけです。
みんな~がんばれ~
ファイト~(´・ω・`)/
言ってみればそれは、マラソン大会の際に、沿道で旗を振って選手たちを応援する、じいさんばあさんと同じような気持ちだと思う。
そういうことなんだと気づいた。
自分が何故、生きづらさを抱える人(通称・翼の折れたエンジェル)たちをなんとなく応援したいのか。
今の自分は
マラソンランナーを沿道で応援している野次馬的な近所のオッサン、と似たようなもんだと思う。
無責任な話ですけどね。
(誰かの人生の責任なんて負えなくて当然か。)
私は「誰かを応援するレース」に参加しているわけではないです。
誰かの役に立つ行為を「自らのゴールへ近づくための条件」と、捉えているわけではないんです。
誰かを助けたら天国への切符が手に入るとか、人間として徳が積めるとか、そんなことも思ってなくて。
もっとゆるい感じ。
使命感に燃えているわけでもないし、何か大きなことを成し遂げようという気もない。
私はきっと暇だったんです。
時間が余っちゃった。人生の。
自分のレースはすでに終わり、他の人たちはまだ走っている。
よし、まだゴールしていない孤独なランナーたちへ沿道からエールを送ろう。
・・・・・・
そんな感じなんだと思うんですよね。
ゆるゆるです。
それがこのブログなんじゃないかな。
うん、そんな気がしてますよ、今はね。
ちょっと思ってることを上手く書けなかったような気もするので、いずれ改めて、手直しすることにしよう。
そんなこんなで、このブログのスタンスとか、そういう話でした。
最後まで読んでくれてありがとう~。
マイペースで行こう。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年9月10日
我々はロボットでもないし、聖人君子でもない。
不完全な人間だ。
時には焦るし、怠けるし、転ぶけど、それも含めて、自分のペースだ。
小さな成功をコツコツとゆっくり積み重ねていくんだ。 pic.twitter.com/7Nf37ltDcE