【人生相談】大人って偉いの?大人になるってどういうこと?
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今回の相談も非常~にエモーショナルですね、…エモいっ!
「オレは、つまらない大人にはなりたくねぇんだよ!」
という魂の叫びでございます。
茶化すことなく真正面から真摯に受け止め、答えていきたいと思います。
私もね、若い頃は同じように思っていました。「つまらない大人になんてなりたくない!」…とね。
今回の相談内容はコチラ。
大学生の「ともっち」さんからいただきました。
大人になるってどういうことなのでしょうか。
大学の先輩に○○はまだまだ餓鬼だなとよく言われるのですが、そんなに大人になることは偉いのでしょうか。
大人になりたい半分、クソみたいな大人になるくらいだったら、大人になんてならなくていいと思っています。
https://twitter.com/derachan212121/status/908323671265107968
分かりますね~、私もこういう時期ありました。
先輩が、たった数年早く生まれただけで先輩ヅラしてんのも、気に食わなかったりしてね。
とりあえず、何でもかんでも気に食わなかったね。世の中の全てが。
全部クソだと思った。
本当はさ「若者 VS 大人」っていう構図はちょっと行き過ぎてる面もあるんだけどさ、なんかこう…「大人はみんな、敵」みたいに感じちゃったりしてね。
実際には、つまらない若者もいるし、面白い大人もいるんだけどさ。
分かり易い「仮想敵」を自分の中に創り上げることで、行き場のない怒りをぶつけやすくなる、ってのはあるかもな~。
ミスチルの桜井さんも歌ってましたけどね、
「あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしてる」って。
怒りの矛先や責任を擦り付ける対象を用意しておくと、いろいろと楽なんだよな…。
実際には、この地球上には「おとな」が何億人もいますしね、自分が知ってる「つまらない大人」はその中のごくごく一部です。1パーセントにも満たない。
「おとな」イコール「つまらない」なんてことはなくてね、たまたま運悪く、自分の周りの大人たちがクソだったと、そう割り切って考えていただけると幸いです。
今、大人たちに不信感を持っているナウなヤングたちに言っておきたい。正直、すまんかった。こんなクソみたいな世の中にしてしまったのは、我々大人たちです。ごめんなさい。
ただね、誰だってそうだと思うけど、
「クソみたいな世界にしてやろう」と思って生きてきた人間なんて、きっといなくてさ。
みんなそれぞれ、ガムシャラに、必死に生きてきたんだと思うのよ。
どんな大人たちだってさ、自分なりに闘ってきたんだと思うのよ。
結果的にクソみたいなことになっちゃったけどさ、
でもね、
若い頃はさ、理念も理想もあったんだよ。
「クソみたいな大人になるもんか!」って誓ったんだよ…。
頑張ったんだよ。こんなはずじゃなかったんだよ。
涙なくしては視聴できない…!
浜田省吾『J.Boy 』
さて。脱線気味なんで、もう一回、相談内容を確認してみよう。
相談内容。
大人になるってどういうことなのでしょうか。
大学の先輩に○○はまだまだ餓鬼だなとよく言われるのですが、そんなに大人になることは偉いのでしょうか。
大人になりたい半分、クソみたいな大人になるくらいだったら、大人になんてならなくていいと思っています。
ふむ…。
大学の先輩によく「お前はまだガキだな」 と言われる
…と。
いや、これね、単純にこの先輩がガキなんでしょうな(笑)
背伸びして大人のフリしたいだけでしょう。
全然気にしなくていいような気がしますね。
真に受ける必要なし!
棺桶に片足ツッコんでる連中から見れば、大学の先輩も後輩もそんなに変わらんでしょう。
「ガキ度」、どんぐりの背比べ状態なんじゃないかと。
そんなに大人になることは偉いのでしょうか。
偉くはないような気がしますね。個人的には。
ただ長く生きてるだけの、しょ~もない老人もいっぱいいるでしょうし。
でも昔はね、長く生きてる人間ってのは、それだけでリスペクトに値したんですよ。
マンモスを狩っていた時代とかね。
長老は、間違いなく、尊敬に値した存在だったんですよ。
短命が当たり前の時代、長寿であることはそれだけで価値があったんです。
長生きできるということはすなわち、その個体が、ずば抜けて健康体であったということ。
更には運も良かったという側面もあったといえるかもしれませんね。
死ななかったということは、
病気や怪我に強く、タフな肉体を持っていたこと、そして大きな事故にも遭わなかった(言い換えれば不運を回避し続けた)という、「強さ(頭の良さも含む)」の証しなんですよね。
そして、長く生きた分、当然、周囲の村人たちよりも見てきた事や聞いてきた事が多いわけです。すなわち経験値が高い。
平均寿命が30年の村で、60年生きてる長老がいたとすれば、単純に普通の村人の約2倍の経験値があるわけです。
この村で50年前にあったことを体験を通して知っているのは長老だけ、ということにもなるでしょうし。
そんなわけでね、昔はやはり「長く生きている」ということ自体に、大きな意味があったと思うんですよね。
それが文化として根付いてきたのには、それなりに理由があった。
しかし。
今、現代社会ではどうだろうか…?
長く生きてるかどうかってのは、あまり関係ないような気がしますね。
若くても立派な人はいるし、しょ~もない年寄りもいますから。
若いから、とか、年上だから、とか、そういう考え方自体を控えた方が賢明でしょうね。
ようするに「大人はつまらない」みたいな言い方も、非常に頭が悪そうに見えますので控えた方がいいでしょう。
主語がデカすぎ案件。
さて、いよいよ、本題に入りますか。(まだ入ってなかったことに驚き!)そもそも「大人」ってどういうことだよ?
ここから先は、今まで以上に、私の独断と偏見に満ち溢れたオピニオンとなっております。
大胆にオピニオっていきます。
長々と話してまいりましたが、そもそもですよ。
「大人」ってどういうこと?
実は私、以前から考え続けておりました。
本当の意味で「おとな」って、どういうことなんだろうか…?
んでね、ツイッターで回答した時に
「本当の意味の大人」とは「他者を思いやれる人」なのではないか?
って答えたんですけどね、どうもしっくりいかない。
もうちょっと違う言い回しがありそうだな…って思いまして。
それで、更に考えた結果、もうちょっと私の中の「おとな」のイメージの近い言葉を見つけました。
え~~、それでは発表します。
大人とは「自己犠牲の精神」を持っている人
なんじゃないでしょうかね。
まぁ、あくまでも私なりの解釈ですが。
大人と子どもを分ける重要な要素のひとつは「自己犠牲の精神」のような気がします。
例えば、ヌーの群れがライオンに襲われたとしましょう。
一匹の子どものヌーがライオンに捕まってしまったと。
今まさに、子どものヌーが食べられてしまう…という場面で、突如現れた母親のヌーがライオンめがけて突進!
我が子を救いたい一心で、自らの命も省みず、ライオンに挑む母親ヌー!
・・・・・・大人ですね!
みたいな。
う~~ん……なんか微妙に違うな…。
例えがおかしいような気がする。
あ、じゃあさ、パチンコ屋ってことにしましょう。
パチンコ屋の駐車場。
真夏の炎天下。
どうしてもパチンコをやりたいおっさんとおばさんが、駐車場に停めた車の中に赤ん坊を放置して、パチンコやるでしょ。
毎年、幼い命が失われてます。
これは、私の中では「大人」じゃないんですよ。
子どもの都合よりも自分の都合を優先しちゃってる。「NO自己犠牲」。
本当の大人であれば、自分(パチンコやりたい)を犠牲にして子育てを優先する立場であってほしい。
・・・・・・みたいな。
う~~む…。
この例えで合ってんのかな…。
自分の子どもが腎臓の病気だとして。
医者に「お父さん、あなたの腎臓を提供してください」って言われた時に、喜んで差し出せるのが親、みたいな?
あれこれ考えるまでも無く、間髪入れずに「どうぞ私の腎臓を使ってください!」と直訴できる。
そんな自己犠牲の精神があるのが大人
・・・・・・みたいな?
なんとなく伝わります?
私がイメージする「大人」。
ただ年齢を重ねただけではなく「本当の意味での大人」。
究極の大人はブルース・ウィリスなんじゃなかろうか。アルマゲドンの。
THE・自己犠牲。
映画の中のブルース・ウィリスは、最初、娘の立場になって考えることができない男だったわけよ。
「あんな男と結婚はさせない。お前のためを思って言ってる」って言いながらも、それって全部「父親である自分の都合」であってさ。
自分の都合、自分の気持ちを最優先してたんだよな。
しかし最後は、娘と、青年を信じて、未来を託した。自分の命と引き換えにして。
とりあえず主題歌でも聴いて、泣いておこうか。
Aerosmith Armageddon I dont want to miss a thing
もうね、YouTube観て号泣ですよ、私は…。アルマゲドン、イイ映画だよね…。最後、〆ますか…。
長々と「大人」について考えてきましたけどね、ここで我が身を振り返ってみたいと思います。
果たして、自分は、大人だろうか?
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
完全に
大人じゃないね!
全然ダメ!
ちょっとまえにガッツリ明記してたしね!
いつまでも、大人げない感じでいたい。
もう全然ダメ!!
大人になる気、一切なし!!
正直、すまんかった!!
今回の相談者、ともっちのブログはコチラ。