「読まれるブログの共通点って何なんだろうな…?」
って話です。
ブロガーにとっては、ある意味、永遠のテーマですね。
ふと思っただけなんで、深い検証など一切なし。
ちょっと逆側からアプローチしてみました。「読まれないブログ」の傾向を考える。
私は、いわゆる「人気ブログ」をあんまり読みません。
全く読まないわけじゃないけど、人気のあるブログを読むヒマがあったら「面白いのにまだ人気が出ていないブログ」を読みたい、って思っちゃうので。
まだ世に出ていない、埋もれているナイスブログを発掘する作業の方が全然、ワクワクするような気がして。
青田買い精神。
「◯◯◯はワシが育てた」みたいな。
アンド、
「他人のブログを読み漁ってるヒマがあるなら、自分のブログを書かなければ…」っていう気持ちもあります。
そういったわけで、すでに市民権を得ているような人気ブログを目にすることはそれほど多くありません。
したがって「人気ブログに共通するポイント」みたいなものは、正直、よく分からないんですよね。
読んでないから。
ということで、ヒマさえあれば、まだほとんど読者を獲得していない、生まれたてのブログを覗いたりしてるんですが、なんとな~くね、ちょっと思うことがありまして。
「ちょっとこれ、読めないな。キツイな。」
って思っちゃうブログって、時々あるんですよ。
「読者登録したいな…って思わせないブログ」というか。
ちょっと言い方が悪くて恐縮ですけど。
と言うことはですよ?
それらを反面教師として考えればいいんじゃないかと、ふと思ったわけです。
「読まれないブログ」の逆を行けばいいんじゃないかと。
そうすれば読まれるんじゃないかな?って。
まぁ単なる思いつきなんでね。
深い洞察などは一切ございません。
ということで。第一回「こんなブログは嫌だ!」大会~!
はい、今から、パッと頭に浮かんだものをどんどん羅列していきま~す。
完全に見切り発車で~す。
事前に申し上げておきますが、これはあくまでも、
「私の主観」ですからね。
間違っても一般論じゃございません。
あくまでも、
「恐ろしいほどの偏見に満ちたオレ様の独断」
ですから。
みなさんには、みなさんなりの「こんなブログは嫌だ!」があってしかるべきなので。
こんなこと書くと「オレはお前のブログが嫌だね」っていうディスりコメントがわんさか来ることが目に見えるようですが、これもまぁ、ブロガーの宿命ですからね。
避けては通れません。
一応、魔除けのお札も貼っておこう。
耳が痛いね
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2017年2月9日
“批評の主たる魅力は、批評されているものよりも批評している者のほうが偉く見えることである。
批評することは極めて容易なので、それはしばしば、他のいかなる方法によっても人の興味を引くことができない凡庸な輩の避難所となる”https://t.co/JQkcYarPw9
ディスり職人たちの増殖を防ぐための「抑止力」にもなると思われますので、オススメです。
さて!準備は整いました!
さっそく、まいりましょう!
第一回「こんなブログは嫌だ!」大会~!
- 字が小さい
- 行間が狭い。
- 改行が無い。
私は、極端に目が悪いので、内容どうのこうのよりも、デザイン的に読みにくいブログはキツイのです。
- 逆に、改行が怖いくらいある。
- 広告だらけ。
- 物を売りつける気満々。
- 異常に長い。
- 異常に短い。
さて、ウォーミングアップはここまでです。
いよいよ、核心に迫っていきますよ~。
- そもそも言ってる意味が分からない。
- 暗号のような謎のポエム。
- 平然と専門用語を多用する。
- 文句を言ってるだけ。
- 泣きごとを言ってるだけ。
- 行間から「楽しさ」が見えてこない。
- 終始、上から目線。
- 明らかに釣り。
- 挑発的。
- 読後感が悪い。
まぁざっとこんな感じでしょうか。
ちょっとこれ辛いな、また読みたいとは思わないな、っていうブログの傾向。
(感じ方は個人差があります)
でね、
自分自身も心当たりがあるんですよ、実をいうと。
じゃあ反省してるかっていうと、反省はしてませんけど。
その代わりといっては何ですが、
少なくとも「ユーモア」は忘れないようにしたいって思ってますね、自分の場合は。
ユーモアさえ忘れなければ、大抵のエントリーは、首の皮一枚、繋がって「ギリセーフ」になるんじゃないかな?って思っています。
猛烈に勝手な憶測ですが。
ちなみに、このブログ「自由ネコ」は、面白くないとか、すべってるとか、よくディスられます。
中のひと本人が「ユーモアが生命線だ」って言ってるのに、身も蓋もありませんね。
それでは、発表します。今回の分析で浮かび上がってきたキーワード!それは…「思いやり」です!
もうね、一言で言い切っちゃいましょう。
読まれないブログは「思いやり」が欠けてるんだと思うんですよ、ザックリまとめると。
恐ろしいくらいにザックリまとめちゃいましたけど。
まぁ、いずれにしても、どうにかこうにか着地しないとダメなんで。
あえて一言で言い切ってみました。
「思いやり」です。
これがあるかないか。
読者に対する配慮、すなわち「思いやり」さえあれば、何とかなるような気がするんですよ、どんなブログでも。
読み手の気持ちをガン無視してるにも関わらず、それでも読まれているブログってのは、無いかと言えばあるんでしょうが、それってまさしく、天性の才能とか、たぐいまれなるセンスに裏打ちされている超特殊なブログだと思うんですよ。
例外中の例外ですから、お手本にも参考にもならない。
凡人は、やはり、凡人なりの戦い方をするしかないわけで。
そうなってくると、結局、「思いやり」をないがしろにするわけにはいかないだろう、ということなんじゃないでしょうかね。
先ほど挙げた「こんなブログは嫌だ!」の項目を、改めて確認してもらえばわかると思うんですが、実は、どれもこれも「読み手への配慮が無い」の一言で片づけられちゃうと思うんですよ。
ちょっと強引かもしれませんけど。
字が極端に小さいとか、意味不明のポエムとか、専門用語の乱用とか、上から目線で語るとか、どれもこれも、「読者の立場に立って考えれば、改善しようかなって思える要素」だと思うんですよね。
言い換えれば、書き手に、客観的な視点が無いということ。
なのではないでしょうか。
「自分を観るもう一人の自分」という視点が無い。
そういう人の書いたブログは、なかなか読まれないんじゃないか?って思ったわけです。
さて。
偉そうに語ってみましたが、ここで、さらなる展開を繰り広げてまいりますよ。じゃあ「自由ネコ」はどうなんだ?って話です。
どう?
面白くなってきた??
実は私は、他人に共感する能力が、人よりも欠けているのです!なんという致命的なハンデ!!
実をいうと私は、他人が何を考えているのか?みたいなことを察する能力に欠けています。
おそらく発達障害なのか、ADHDなのか、そういった類の何かですね。
いわゆる空気が全然読めないので、非常にしんどいわけです。
まぁ、物事が全然、スムーズに運ばないわけです。
どうしてみんなと仲良くなれないのか、どうして嫌われるのかも全然分からない。
自分が「他人の気持ちを想像以上に全く読めていない」という自覚を持ったのも、ようやく30代に入ってからだったと思います。
そうすると、過去を振り返ってゾッとしたりして。
授業の進行をストップさせてまで自分の主張を雄弁に語っていた時、先生やクラスメートがどれだけドン引きしていたのか、とか、今になって理解して、ゾッとしたりするわけです。
歳を重ねるごとに、人間関係の失敗を果てしなく繰り返してきて構築されたデータベースを解析して、なんとなく無難に振る舞うための模範解答は、うっすら分かるようには、なってきました。
ところが、それを駆使して、人と関係を築くためには、とてつもないエネルギー消費が要求されますので、心身がボロボロになるというジレンマを抱えております。
そんな感じですから、実は私はブログを書く時にも「思いやり」なんて全然、意識しておりません。
だって、読み手の気持ちなんて、全然、分かんねぇんだから。
さっき「思いやり」が大事、って言ったばかりなのに、自分は「思いやり」を気にしていないというまさかの展開。
どうですか、このどんでん返し。
さぁ、いよいよクライマックスが近づいてきましたよ!
私がブログを書く時に、猛烈に意識している読者が、ひとりだけ、おります。誰だと思いますか?
私は、他人の気持ちがよく分かりません。
読者の気持ちも、正直、分からんのです。
でもね、
たったひとりだけ、この人の気持ちだけは分かるんですよ。
それは、
私自身の気持ちです。
私自身が、このブログの熱烈な読者なんです。
この人(自分)の気持ちなら、ハッキリと分かります。
何を書きたいのか。
何を読みたいのか。
何を楽しいと感じるのか。
何に泣き、何に怒り、
何に喜びを見い出しているのか。
私にとっての手掛かりは、私自身なんです。
私は、
私自身の内側にある羅針盤にしたがって、行く先を決めているんです。
私が気にかけているのは「私自身の本心」です。
本当の気持ちです。
自分に正直に生きる。
自分にウソをつかない。
他人から見て正解かどうかなんて関係ない。
全ての人間は自分だけの答えを持っていて良い。
そしてこれが、私の答えなのです。
あえていうなら、このブログの一番熱烈なファンである、自分自身の気持ちには配慮している、ということなんだと思います。
もし仮に思いやりがあるとすれば、そういった形なんだと思います。
他人はともかく、自分が読みたい、自分が読んで楽しいと思えるブログを目指す。
そうすることで、自分と同じ、あるいは自分と近い感性の持ち主には、ブログを気に入ってもらえるかもしれない。
そして、実をいうとそれだけでも十分なんじゃないかな?っていう気も、少ししています。
自分と近い価値観や感性を持った読者に支持されるブログを目指さないと、絶対に辛くなると思うんですよね。
たくさんのアクセス数を狙って、書きたくもないことを書いていれば、多くの読者を獲得できるかも知れないけれど、絶対にどこかで虚しくなりますよ。
本当の自分を暴露した瞬間に読者が離れていく、という状況を想像したら、それだけで憂鬱な気分になるでしょうね。
仮面を被り続けて人気を得たとしても、その人気は「中の人本人」が獲得したものではなく「被っていた仮面」が得た人気でしかない。
どんどん話が脱線しているような気がしますね。
ということで、まとめますか。
今回、感じたことね。
ひとつは
「思いやりのないブログは、読まれるのが難しい」
ということ。
そしてもうひとつ。
「思いやりなんて分かんねぇよ」という人は、自分自身を「最初の読者」と考えて、その目線から、ブログを客観的に見るように意識してみる。
ということですね。
他人はともかく、自分が読みたい、自分が読んで楽しいと思えるブログを目指す。
自分を偽らずに書き続けていれば、必ず、自分と感性の近い読者や、共感してくれる読者、支持してくれる読者が現れる…はず。
どうでしょうか。
こんな感じで、丸く収まりましたかね?
「なかなかブログが読まれない…」とお嘆きのアナタ。
自分自身で、もう一度、過去記事を読んでみてはいかがでしょうか?
「うわ…読者目線で読んでみたら、全然面白くない…」
と思ってしまう内容なら、そりゃ読まれませんよ。
少なくとも、自分ひとりだけだとしても、
「なにこれ、改めて読んでみたらスゲー面白いじゃん!」
ってならないとダメなんです。
(ちなみに私は、自分の過去記事を読んでよく笑っています)
最低限、
書いている自分にとっては楽しい記事、
自分が読み手だとしたら読みたくなる記事、
そこを目指してみるといいんじゃないでしょうか。
誰にでも、その人にしか語れない言葉がある。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2017年1月12日
本やネットで拾ってきた借り物の言葉ではなく、今まで歩んできた己の人生から紡ぎ出す言葉だ。それが正しいのか間違っているのかはどうでもいい。綺麗か不格好かも関係ない。
私が知りたいのは、マニュアルには載っていない、あなた自身の言葉=人生だ。