久しぶりに、実家に顔出してきたんですけどね。
どうやら本格的に、母親がボケちゃってましたね。
う~~ん…。
ある日突然、スパッとボケるわけじゃないんですよね。
ジワジワとね、真綿で首を締めるようにね、ボケは進行していくわけです。
そしてある瞬間、正気を取り戻したりして。
本人は凹むだろうね~。
何とも言えませんわ。
こういうとき、どう言えばいいんだろうね。
先日「ハッピーエンドの選び方」っていう映画をね、観たんですけど。
ものすごくポップな感じのフライヤーや予告編ですけど、実際はどうしようもなく重たい映画です。
映画終了と同時に余韻に浸ることなくさっさと出ていってしまった人が結構多くて。
「もっと笑って泣ける映画だと思ってたのに騙された!」って感じた人も多かったのでないかと。
それくらい、重たい映画です。
安楽死についての映画ね。
<ストーリー>
エルサレムの老人ホームに暮らすヨヘスケルはユニークなアイディアでみんなの生活を少しだけ楽にするような発明が趣味。ある日、彼は望まぬ延命治療に苦しむ親友マックスから、発明で安らかに死なせてほしいと頼まれる。妻レバ―ナは猛反対するがお人よしのヨヘスケルは親友を助けたい一心で、自らスイッチを押して苦しまずに最期を迎える装置を発明する。同じホームの仲間たちの助けも借りて計画を準備し、ついに自らの意思で安らかに旅立つマックスを見送る。しかし、秘密だったはずのその発明の評判は瞬く間にイスラエル中に広がり、依頼が殺到してしまい!?そんななか、愛するレバーナに認知症の兆候があらわれ始めて・・・。残された時間と向き合って見えてくる、人とのつながり、人生の輝き。ヨヘスケルとレバ―ナの選択とは―?
例えばね、これ言っちゃっていいかな。
映画のネタバレになります。
安楽死に反対してたおばあさんがいるわけ。
どんなに死にたがっている人でも、殺しちゃいけない!
って主張してる訳ね。
ところが、自分自身がボケはじめるわけ。
まだらボケって言うらしいけど、ある時はボケてるんだけど、またある時は、正気に戻るワケ。
全裸で老人ホーム内を徘徊してる瞬間はボケてるんだけど、次の瞬間には、正気に戻る。
で、死にたいと。
私は間違ってた、と。
死にたいと願う人には、それだけの理由がある。
だから私を殺してくれ、と。
まぁ、ボケってのは実際にそんな感じらしくて。
知り合いに聞いた話だと、
ボケちゃったばぁさんが家族の事を泥棒扱いするワケ。
私の財産を狙ってる!ワタシの財布を返せ!
って、大激怒するわけ。
ところが、次の瞬間には、正常に戻ったりして。
で、
もう殺してくれ、と。
私を殺してくれと。
自己嫌悪でね。
自分が少しづつ、自分じゃなくなっていくことの恐怖ね。
少しずつ、怪物になっていく恐怖。
自分が正気の時間が少しずつ短くなっていき
暴れたり、叫んだり、徘徊したりする時間がどんどん長くなっていく。
まぁ、死にたくもなるでしょう。
ウンコも漏らすしね。
家族にオシメを取り換えてもらってる時に急に正気に戻ったりしてね。
そしてまた数時間後には、自分は前後不覚の状態になって、暴れたりするんだなぁと、正気の時に思うわけだ。
久しぶりに実家へ帰ったら、母親のボケがますます進行していた。
洗濯用の洗剤を買うつもりだったらしいけど、
業務用?みたいな、巨大な
柔軟剤と漂白剤を買ってた。
宅配サービスで買ったらしい。
何か、商品のカタログを見て、買ったんだろうね。
洗剤の写真の隣に柔軟剤と漂白剤の写真も載ってたんじゃないかなぁ。
カタログだから、実際の大きさが分からないしね。
こういうことが、どんどん増えてきてる。
会話もつじつまが合わない事が増えてきた。
同じことをこっちが30回言っても、理解できない。
ばあさん(母親)の世話はじいさん(父親)がしなきゃならない状態だけど、じいさんはじいさんで、いろいろと問題を抱えている。
じいさんは若い頃から異常に頑固で短気だ。
だから、家族は誰も、じいさんと住みたがらない。
一緒にいれば、毎日、大ゲンカになるのは目に見えているからなぁ。
ナチュラル・ボーン・クレイジー。
家族全員から嫌われているのは、まさに自業自得なわけで、嫌われるような生き方をしてきたツケが回ってきて、孤独死まっしぐらなワケだけれど。
ばあさんのボケが進行していくと、じいさんはますます激怒するだろう。
ばあさんを罵倒するだろう。
どうしてこんな事も出来ないんだ!と罵るだろう。
イライラするのは分かる。
分かるけどさ。
いろいろと救いが無いね。
しかし、いつかは皆、こうなるんだろう。
とにかく、こんなブログ書いてる場合じゃないかもしれないなぁ。