「具体的な理想を持ち他者の幸福を願い執着を捨て自己を制する」⇒無理。

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具体的な理想を持ち、他者の幸福を願い、執着を捨て自己を制する…。

かなり以前に、古本屋のワゴンセールで購入した自己啓発本の内容を1行に要約。

ニューヨークにあるビジネス・エリート養成所的なところの教授が書いた本らしい。

多くの自己啓発本の要点だけをまとめたような非常に効率的な一冊、とのこと。

私はそれを破格の10円でGETしたのであった。

 

しっかりとしたハードカバーで、気品と風格の漂うデザイン…。ウソみたいだろ。10円だったんだぜ、それ。

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実を言うと、ここ10年以上、ほとんど本を読んでおりません。

眼が悪い(近視&乱視&老眼&目の病気)っていうのもあって活字を眼で追うのがしんどい。

特に読みたい本もないし。

 

記事の冒頭で取り上げた10円の自己啓発本も、何かを期待して買ったわけでは無くて。

トイレ用です。

ビジネスエリートの卵たちに大人気の講座を受け持っている教授が、渾身の力を込めて書きあげた自信作…らしいですが、私はトイレで読んでおります。

(しかも毎回、適当に開いたページを数行読むだけ)

 

 

自己啓発本のたぐいは、ホント、読まなくなった。「気づき」とか「目からウロコ」みたいな感覚がもう味わえない。

歳をとったということでしょうか…。

脳が固くなって考え方に柔軟性が無くなったとか?

あるいは、

一通りの目ぼしい考え方には一度、触れた経験があるからとか?

・・・・・・

いや、そんなんじゃないと思うんだよね。

 

きっともうね、必要無くなったんだと思うんですよ。

「自分探し」みたいな作業。

 

見つかったんでしょうね。

おそらく、もう発見済ってことなんだと思うんです。

よく分からんけど。

 

「自分はこうだ」っていうのが、なんとなく把握できた。

あくまでも、なんとなくですけどね。

 

例えば、私の心の師「箱ばあちゃん」なんか、そうだよね。

gattolibero.hatenablog.com

 

箱ばあちゃんは、もう自分がやるべきことを分かっている。

自分が毎日を上機嫌で暮らせる方法を知っている。

自分の心の喜ばせ方を知っている。

自分の歩幅、ペース、向かうべき方向を知っている。

本やネットからヒントを得る必要がない。

自分の生活の中から「自分なりの答え」をすでに見つけている。

 

言うなれば、もう辿り着いている。

 

人の生き方に正解も不正解もないんだから、箱ばあちゃん本人が「これでいいのだ」と思うのであれば、それが「箱ばあちゃんにとっての答え」なんだよね。

他人がどうこうとか関係ない。

 

きっと箱ばあちゃんは自己啓発本は読んでないと思うし、この先も読まない気がする。

そんな暇があったら、せっせと箱を作るだろうね。

 

 

自分の場合も、自己啓発本を読む以上に、やるべきことがあるような気がしないでもない

一度、こうやって「THE・オレなりの答え」みたいなものを捕まえちゃうと、自己啓発本とか、読まなくてもいい感じになっちゃう。

いや、もちろん、読んでもいいんだけどさ。正解は人それぞれですから。

 

んでさ。

例えば私の場合だと、自分と違う考え方が本に書いてあった時にさ、

「なるほど!そういう考え方もあるのか!!」

って、ピュアに鵜呑みにできないくらい、汚れつちまつた悲しみに覆われていますからね。

「いやいやいや、ちゃうやろ~(なぜか関西弁)」

ってなっちゃうわけですよ。

ひねくれちゃってんのね。

 

冒頭で挙げた一文なんかもそうだよね。

「具体的な理想を持ち、他者の幸福を願い、執着を捨て自己を制する」

って言われても、

「はい!了解です!今から実践しま~す!」

とはならないワケよ。

 

むしろ、

「そんなの無理だよ。できっこない。聖人君子じゃあるまいし。」

くらいに思っちゃう。

 

  • 具体的な理想を持つ
  • 他者の幸福を願う
  • 執着を捨て自己を制する

 

いや、言ってることは正しいと思うんだけどさ。

間違ってはいないと思うんだけど。

 

私は心のどこかで

「正論らしき言葉が、必ずしも苦しみの中にいる人の救いになるとは限らない」

 って思ってんだよなぁ。

 

これ、やっぱりエリートビジネスマン向けの本だから「意識高い系」ってことなのかなぁ?

自分は「意識低い系」っつ~か「意識混濁系」っつ~か「意識ない系」だから、ピンと来ないだけなのかもしれない。

 

 

あまのじゃくな私はこう考える。すつかり、ひねくれちまつた。

再度掲載。意識高い系の人が意識すべきこと3選。

  • 具体的な理想を持つ
  • 他者の幸福を願う
  • 執着を捨て自己を制する

 

私は正直な話「具体的な理想」なんて持ってないし、無くてもいいって思ってる。

(あくまでも個人の感想です)

なんとな~く、ただ漠然と生きてるだけの人生も悪くない。

若い頃はいろいろと野心もあったけど、やっぱジジイになると枯れてくるんだよな。幸か不幸か。

個人的にはこの枯れてきた感じが、非常に心地良いというか。

 

 

「他人の幸福を願う」っていうのも、あんまり考えた事はない。

そのまえにまずは「自分の幸福を願う」だけで精一杯かもしれない。今の自分はね。

自分自身が不幸な状態なのに、他人の幸福を願うことなんて、普通に考えたら出来ないからさ、私の場合は「まずは自分が幸せであること」を心掛けてます。

正直に言うと、自分の器が小さくて余裕がないから、その状態でいっぱいいっぱいになってる感はある。

情けないけど、「今は、これが精一杯」。

 

自分自身が泳げなければ、溺れている人を泳いで救助に行くことは出来ないからさ。

今の自分は、クロールも立ち泳ぎもできてないもんね。

せいぜい、犬かき(もしくは猫かき)程度。

 

まずは自分がもうちょっと幸せになろうと思ってます。

(欲張り)

 

 

執着を捨て自己を制する? 無理っすわ~…。

全然、できる気がしない。

できたらもう、人間じゃないっていう気もする。

神に近い。仏に近い。

 

私の中では

「神や仏に近い人間を目指す」というよりも

「今の無様な自分のまま、それでもなお堂々と生きよう」という気持ちの方が強いんだよなぁ。

 

 

【速報】いま、完全に判明したことがあります。

なんか、こうしてブログに書いて客観的に眺めることによって、ひとつの事実が浮き彫りになってきましたよ。

 

完全にととのいました。

私は意識の高いビジネス・エリートにはなれない(^^)/ 

 

 

追伸~。

このブログ「自由ネコ」のカテゴリー 人生の羅針盤 とか 【生きづらさを抱えたアナタとワタシへ】 とかに集録されているような「人生とは何ぞや?系」の記事は今後、新しく立ち上げた別のブログに書くことにしました。(はてなブログではなくBloggerで書きます~)

単なる思いつき&見切り発車なので、ちょっとこの先どうなるか分かりませんが、行けるところまで行ってみます。ダメならやめます。

 

ということで新しいブログ。

NIRVANYAN

真面目なことしか書かない(予定)

 

そんで、「自由ネコ」のほうは、今後も相変わらず、ふざけた感じで自由にやっていきます。

よろしくどうぞ~。