仕事を頑張る前にまずは「自分の適性を知ること」に全力を注ごう

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こちらの記事を読んで、いろいろと思いました。

働くって何でこんなに大変なんだろうか。 - 私は情熱的に生きる人生を選んだ。

 

新しい職場。

いつのまにか同期がすでに3人辞めてる。

体力的にキツイ。

長くは続けられそうもない。

 

・・・とのこと。

 

 これはもう、ブログ主さんの言う通り、素早く決断してすみやかに職場を去った同僚たちが正しいのかなって思う。

この先、どれだけ頑張ったところで、辞めることになるのは時間の問題。

辞めるのが今週なのか、今月なのか、今年中なのかの違いでしかない…って感じだろうか。

体を壊すか、メンタルをやられるか、疲労困憊で集中力が散漫になり、大きなミスを起こすか。

いずれにせよ、円満なフィナーレは迎えるのは困難と思われます。

 

今のご時世、ナイスな職場で働ける可能性ってホント少ない。

椅子取りゲームみたいなもんだから、恵まれた環境にいる人は、そこを退かない。

席が空かない。

空席なのは、誰も座りたがらない地雷付きの椅子だけ。

 

何回転職しても、ハズレばかり、ってこともあるだろう。

アタリの職場を見つけたとしても、面接で落とされたりして。

 

こうなってくると、もはや根本的に考え方を変えるしかないっていう気がする。

 

 

例えば、私が時々考えるのは、こんな仕事の見つけ方。

まずはボランティア活動を始める。

車椅子のひとの散歩を手伝うとか。

老人の話し相手になるとか。

身寄りのない子供たちと遊ぶ、ってのもいいな。

 

そこで出会う人々(言わば同僚)は、みな、ボランティアの人ばかりだ。

「お金のために」行動している人々ではない。

お金以外の何かを大切にしている人たちだ。

これ、非常に大事。

 

そういう人たちと関わっていく中で、「自分は仕事を探しているんだけど…」という雰囲気を醸し出す。

親切な人たちだから、きっと、チカラになってくれる人もいるだろう。

どこかの社長が「うちで雇ってあげよう」と言ってくれるかもしれない。

実はそういうケースを思いっきり目の当たりにしたことがある。

 

どれだけ無能な人間でも、ひたむきに誠実にボランティア活動をしていれば、どこかから声がかかるようになっている。

世界はそういうふうに出来ている。

 

重要なポイントは、「自分は何もできないっス」というのを事前にしっかりアピールしておくことだ。

例えば私だったら、

一日8時間労働は無理。

人付き合い苦手。

コミュ障。

体力無し。

みたいな、マイナスポイントを前面に押し出す。

 

「自分にはこれだけのマイナスがあるけど、働ける場所ないかな…?」

っていう感じを醸し出していく。アグレッシブに。

 

そのうち、親切な人たちが

「うちで掃除のバイトしないか?」

とか

「ワシの話し相手になってくれんかのう?」

とか

「庭の草むしりしてくれたら2000円あげるよ」

とか

「私のヒモにならない?」

とか、

まぁいろいろと助け船があちこちからやってくる。

 

ブルゾンちえみ的に言うと

探さない。待つの。

 

まぁ意外とそんな感じだよね。

結局持つべきものは友達だったり、優しい人々と築き上げる人間関係だったりする。

ドミノ倒しのように、そこから次の展開が訪れる。

 

ハローワークや、就職・就活の情報誌の中にはおそらく「アタリ」は、ほとんど無いですよ。ハズレくじばっかり。

 

 

そういえば以前、頻繁に図書館に通っていたことがあった。20代の前半。

ある時、大きな図書館の掲示板に、「本の整理してくれる人募集」の張り紙があった。

面白そうなので参加した。

お金をいくらかもらったと思うけどあんまり覚えていない。

 

集まったのは、真面目そうな、今でいうオタクっぽい若者数人。

女の子もいた。

 

作業中に、「盗難」っていうワードを使っちゃダメだと言われた。

本が見あたらない時は「不明」って言ってください、って教えられた。

性善説に基づいているのだろうか。

「本を盗むような人はこの世にいない、本が無いのは別の理由なんだ」

という、素敵な発想に裏打ちされたルールだった。

 

もう時効だから書いちゃうけど、本の整理が終わったあと、図書館の倉庫にあった大量の廃棄処分のレコードをもらった。

CDと入れ替えるので、数百枚のレコードは全部捨てることになっていた。

内緒でクラシックとジャズのレコードを2回に分けて50枚くらいもらった。

ものすごく重くて持って帰るのが大変だった。

 

そして数日後の朝。

「図書館の事務の雑用のバイトをやりませんか?」という電話がかかってきて、私は起こされた。

なんだったかな、宛名を書くとか、そんな仕事だったと思う。

私は半分寝ぼけながら

「字が下手なので文字を書くバイトはやりません」

と断ってしまった。

もしも字が上手かったら、喜んで引き受けていたと思う仕事だった。

 

 

私にとっての仕事探しってそんなもんだ。…と思う。

私のような無職の人間が「お金儲け最優先ではない人々」が集まるフィールドに足を運べば、そこには必ず、手を差し伸べてくれる誰かがいた。

何度も言うが、

世界はそもそも、そういうふうに出来ているのだ。

 

昔、沖縄の某離島の海岸で1ヵ月間、テント生活をした時には、地元の人に誘われて、サトウキビ工場でバイトすることになった。

そこには、私のような風来坊が全国各地から集まってきていて、「サラリーマンなんて絶対にできないアウトロー」の割合が99.9%という純度の高い世界だった。

 

そういえば、

すごくデカいお寺の、掃除のバイトをしていた時に、境内のお団子屋さんにスカウトされたこともあった。

「そんな仕事辞めて、うちで団子売らんか?」って。

バイト中だったので断ったけど、今思えば、やってみてもよかったかもしれない。

 

テレビのバラエティ番組の観覧のバイト(率先して拍手したり大声で笑ったりして盛り上げる、いわばサクラ)をやった時には、下請けの事務所からエキストラやってみませんか?と声をかけられたこともあったな。

実際にやってみたけど、カメラが回ったら緊張して全然芝居できなくて、すぐに辞めた。

 

思い出してみると「無職感」を醸し出していれば、意外とあちこちから声がかかるもんだなぁ。

 

実をいうと30回~40回くらい、仕事を転々としている…と思う。

正確な数字はもう分からない。

途中からはヤケクソになって

「こうなったら普通の人間には経験できない生き方をしよう」

って開き直っていた。

ある意味「転職マイスター」。

 

結局、メチャメチャ遠回りの人生だったような気がするけど、その経験がブログを書く上では非常に役に立っている。ような気がする。

人間万事塞翁が馬。

 

 

とにかく、もしも今、社会に上手く適合できないけど就職したくて苦しんでいる人にアドバイスするとしたら、

「お金儲け最優先ではない人々」の集まる場所に顔を出して、そこで人間関係を作りましょう。必ず誰かが世話を焼いてくれて、儲からないけどゆるく働けるような、そんな働き口の話を持って来てくれます。

という感じですね。

 

お金が全てを支配するコミュニティに属している人々の中にある価値観では、能率や効率が最優先されるので、社会不適合者にやさしい人はほぼおりません。

 

「弱者は切り捨て、強者に媚びる」あるいは「使えない者は排除する」、そういう考え方の人々の中では「仕事ができない無能な人」は、居場所が無くて当たり前です。

さっさとそんなコミュニティ、抜け出しちゃいましょう。

 

「仕事」を死ぬ気で頑張るのではなく、「仕事選び」を死ぬ気で頑張った方がいい。

もっというと、

「自分の適性を客観的に把握すること」を死ぬ気で頑張った方がいいです。

それができていないと、居場所探しは困難を極めます。運が悪けりゃエンドレスです。

 

 

gattolibero.hatenablog.com

 

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最後にコレ、貼っておこう。

魔除けのお札みたいなもんだね。