「人生」とは死ぬための準備を整える猶予期間だと思う。

若い頃から何十年も、ず~~っと考えておりまして。

「人生とは何ぞや?」と。

んで、最近はもう、考えるのを辞めました。

 

時間がもったいないです。

考えてるうちに死んでしまいますから。

 

「自分探しの旅」ってよく言うけど、それってさ、探さなければ見つけられないほど「自分の心」をないがしろにしてきた、ってことなんだよね、きっと。

「自分が何をしたいのか、分かりません」

なんてことは、本来はあり得ないわけで。

 

じゃあ、どうしてそんなことになっちゃったのかと言えば「自分の心の声」に従わず、親や、教師や、学校や、世間体や、社会なんかが突き付けてくる「模範的な生き方」を鵜呑みにして、言いなりになって、生きてきたからです。

 

道が二手に分かれている時、自分が行きたい方の道を選ばずに、親とか先生が薦める方の道を選んでしまったからです。

それを何度も繰り返して生きてきてしまった。

周りの意向を気にして、自分の本心を置いてけぼりにして。

いくつもの別れ道でそういうことを繰り返してしまった。

だから、人生の迷子になっちゃったんです。

 

まだ空気を読むことができない赤ん坊は、きっと分かってるよ。

腹減ったから離乳食を食いたいのか、ウンコしたからオムツを取り換えてほしいのか。

自分で出来ないから泣くしかないんだけど。 

 

 

やりたいことが分からないんじゃなくて、それをやったら周りが許さないだろうなぁって先回りして、気を利かせているから、身動きが取れなくなってるだけだろ。

 

みんなに迷惑がかかるから、とか。

親兄弟を悲しませたくないから、とか。

将来の生活の安定のため、とか。

 

クソみたいな言い訳で自分の本心を押さえつけて、立派な社会人を演じている。

ご苦労なこってす。

 

自分の気持ちの問題だからさ。

「やりたいことが分からない」なんて、あるはずないんだよ。

本当はね。

 

もし仮に、

「今日のお昼、カレーを食べたいのか、ラーメンを食べたいのか、自分でも分からないんです…!」

って言ってるヤツがいたら、今すぐ病院へ行くことをオススメしたいですね。

 

 

とはいえ、私も若い頃は「自分探しの旅」をしていたわけで。なかなかね、自分の本心に正直に生きるってのは難しいもんです。

私はね、昔っからずっと、ボーッとしていたかったんですよ。

 

「何もしたいことが無い」んじゃなくて、

「ただ、何もせずに、ボーッとする」を、していたかったんです。

 

 

そう言えば思い出した。

 

私、若い頃、ちょっと手話教室に通ってたんだけどさ、

ある日の授業の内容が、将来の夢を手話で語りましょう、って感じだったんだよね。

それで私が先生に

「『ボーっとしたい』って、手話でどうやるんですか?」

って聞いたのよ。

んで、先生に「ボーっとする」の手話を教えてもらって。

 

そしたらさ、そのあとですよ。

いざ、手話で将来の夢を発表してみましょう!ってなったら、結構みんな、

「将来はボーっとしたいです」

って、私の回答に便乗してきてさ。

 

みんな初心者だから、直前に見た「ボーっとする」以外の手話、ほとんど覚えてなかったんだよね。

それで、みんな「ボーっとしたい人々」になっちゃった(笑)

 

ちなみに「ボーっとする」の手話はもう覚えていません。

私がやりたかったことは「手話」ではなかったからね。

ただ単に

「何か人のためになることをやらなければ私には生きる資格がない」

という強迫観念に駆られて、手話を選んだだけだったんだよな…。

 

「誰か人の役に立ちたい!」

ではなく

「誰かの役に立たなければ自分はダメ人間だ」

という気持ち。

 

まさにこういう事ですよ。

「自分が本当は何がやりたかったのか、分からなくなる」っていうのは。

 

本当はきっと、みんなやりたいことがあるんだよね。

でも、

「これ言ったら怒られるんじゃないかな…」

って、怖くて言えなかったりして。

 

いくらでも、批判してくる人っているだろうしね。

「そんなの1円の得にもならないぞ」

とか

「親が悲しむぞ」

とか。

脅迫してくる。

 

でもね、人生なんて一発勝負だから。

勝っても負けても、待ち受けているのは「死」でございます。

どっちみち死んじゃいますから。

だったら、好きなことやってから死にましょう。

 

そういったわけで、私は日々、全力でやりたいことをやっております。

何かって?

そりゃとうぜん、ボーっとするのですよ。

 

 

今世は、いわば死を待つ人々のための「待合室」のようなものだと思ったりする。

病院の待合室とか、めちゃめちゃ待たされたりして、超~ヒマなんだよね。

人生も一緒。

 

でも、あと50年後なのか、30年後なのか、10年後なのか知らんけど、ちゃんと自分の順番が回ってきます。

死神なのか、天使なのか、何かに自分の名前を呼ばれたら、そこで終わりです。

 

問題は、待合室で何をやって、時間を潰せばいいのか?ということですね。

まぁ何でもいいんです。

 

読書でも。けん玉でも。

絵を描いたり。ブログを書いたりしててもいい。

 

ただね、1個だけ忘れちゃならないのは、

いつ死を迎えたとしても後悔しないように準備を整えておく、ということです。

 

これができていないと、自分の番が来た時に、急に怖気づいたり、取り乱したり、情けないことになっちゃいますから。

「え~!まさか自分の番が来るなんて思わなかった…」

なんてバカなこと言われても困ります。

 

とにかくね、私はこの「死ぬ準備」だけは、生きている間にやっておかなきゃならないノルマみたいなもんだと思うんだよね。

 

「はい、自由ネコさん、お待たせしました。あなたの順番が来ましたよ。」

って、死を宣告されてから、ジタバタするのはちょっと違うな、って。

 

名前を呼ばれたら、すみやかに、今世とは、おさらばする。

そのためには、ちゃんと、精神的にも、物質的なことでも、準備は終わらせておきたい。

これもうね、何十年も前からず~っと頭の中で繰り返しておりまして。

 

「明日死ぬとしても悔いが残らない生き方」

っていうのは、ず~っと考えていたわけです。

 

分かり易く言うと「やり残してきた事が何もない」ってことだね。

 

「私は、やりたいことは全部、精一杯やってきました。もう、悔いも未練もありません。納得して死にまーす。では!」

その状態が理想。

 

 

「死ぬまでにやりたい100のこと」とか、よっぽど抑圧された人生を生きてんだな~と思うわ。

やりたいことが100個もある?

多過ぎじゃね?

だってそれ、

「やりたかったけどやれなかったこと」が大量にあるって事だよ?

 

どうして、今までやってこなかったんだよ?

バカか?

バカなのか?

今まで、やりたかったことを、100個も後回しにして生きていたってのか?

お前、バカか?

明日交通事故で死ぬかもしれないんだぞ?

どうして、やりたいことを後回しにするんだよ。

バカか?

バカをこじらせて死ぬのか?

「死因、バカ」なのか?

 

「やりたいことがたくさんあることは良いことだ」って何か勘違いしてない?

やり残してることが山ほどあるってことだよ?

今死んだら、めっちゃ後悔が残るって事だよ?

ダメだろ~~~。

さっさとやれよ。

減らしてけ減らしてけ。

やりたいこと100はちょっと多過ぎだよ。

確実に、死んだら成仏できないパターンだよ。

未練残り過ぎ。

 

そもそも、

「やりたいことをまず無理矢理100個、作りましょう」

ってのはおかしい。

何その数字。どこから出てきた?

鵜呑みにして100個のリストを作る必要など無い。

無理矢理ひねり出すことにどんな意味があるのか。

アホすぎる。

 

もしも、やりたいことが3個しか思い浮かばないのであれば、かなり良い人生を送ってきてると言えるだろう。

おそらく、やりたいことがあった時に、その都度、できるタイミングで取り組んでいった、ということの証明だ。

やりたいことを常にやってきたことの証しだ。

 

 

やりたいことが100個もあることが素晴らしいんじゃないからな。

だってさ、考えてみ?

もしも、やりたいことリストに書いたことを50個、実際にやったとしてさ。

そうすると残り50個じゃん。

この調子で減らしていくことに意味があるんだろ?

「50個減ってしまったので、50個追加しまーす!これで合計100をキープ」

って話じゃないじゃん。

 

やりたいことリストに載ってる項目は、少なければ少ないほどいいんだよ。

少なくすることが目的なんだよ。

やりたいことを後回しにせずに常に優先的に取り組んでいく姿勢を身につけることが重要だってことなんだよ。

 

まずやりたいことを無理矢理100個考えてみよう。

とか、意味分からんわ。

 

 

私が考案した「やりたいことの優先度チェック法」をお教えしましょう。 

私が若い頃から取り入れている手法です。

 

まず、自分が明日死ぬ人生を想像してください。

もしも明日死ぬとすれば、今日、何をやりたいか?

それを明確にして下さい。

 

次に、1週間後に死ぬ場合を想像してください。

余命1週間の場合の生活を脳内でシミュレーションします。

もしも1週間後に死ぬとすれば、今日、何をやりたいか? 

 

次は、1か月後です。

もしも1か月後に死ぬとすれば、今日、何をやりたいか?

 

この調子で、

余命が1年のケース、10年のケース、20年のケース、30年のケース…などなど、いくつものパターンを用意してください。

 

どうでしょう。

自分に残された時間の長さによって、やりたいことが、その都度、変化してるのではないでしょうか。

 

自分が本当は何がやりたかったのか、明確になってくると思います。

 

そして、余命が様々なケースを並べて、その最大公約数的な「やりたいこと」を把握しておけば、自分がどう生きたいのか、見失わずに済みます。

お試しあれ!

 

 

昔、スティーブ・ジョブズっていう人が、こんなような事を言っていました。

毎朝、鏡の中の自分に問いかけてきた。「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?」と。NOと答える日が何日も続くようであれば、何かを変えなければならないということだ。

 

 

私が言うと説得力がありませんが、ジョブズが言うと、すんなり鵜呑みにする人が多そうです。

 

ようするに、ジョブズが言ってるのは、

オレはアップルで仕事してる。

でもそれはビジネスでやってるんじゃない。

例え人生最後の日だと分かってても出社しますよ。

そう思えないような会社なら、さっさと辞めるべき。

・・・・・・

みたいなことなんですよね。

仕事するんなら、絶対の意義を持って挑め、っていう。

 

 

これはね、私も若い頃、いっつも思ってたんですよね。

クソみたいなバイトしてるでしょ?

そうすると、オレ何やってんだろう?

って自問自答し始めるんですよね。

こんなの、やりたくてやってるワケじゃねぇ。

オレは、損得じゃなく、やりたいと思える仕事をやりてぇんだよ!

って。

 

ど~しても割り切れなくてさ。

はい、仕事仕事。

これは、生活のため。

みたいに、割り切れなくてさ。

 

完全に、鬼束ちひろの心境ですよね。

www.youtube.com

 

How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない

 

 

「何もできないし、どうしていいかも分からない…」っていうヤツは、とりあえず河川敷で石を積め!

何の才能もない。仕事もない。友達もいない。恋人もいない。家族にもゴミのように扱われている。

そういう人は、アートやってください。

 

アートの存在意義はそこにあります。

アートによって救われた、という人間は大勢いるのです。

かくいう私もその1人です。

(もう満足&納得したので、活動辞めましたけど)

 

カネが無くてもアートはできます。

例えば、こんな人。

河原の石を積んでるだけ。

でも、圧倒的に巨大なエナジーをそこにぶち込んでる。

そうすると、人々は感動しちゃうわけよ。

www.youtube.com

 

 

ニート、ひきこもり、無職、お前ら、時間ならたんまり余ってるんだから、河原で石を積め!

 

全人生を賭けて取り組んだ作業ってのは、必ずや、見る者の心を揺さぶるんですよ。

たとえ、石ころを積むだけの作業だとしても。

 

中途半端じゃなく、全人生を賭けても惜しくないって思える何かを見つけてください。

それに取り組んでいる時、あなたは爆発的に輝いているはずです。

 

私も、全人生を賭けて、ボーっとします。

そしてブログを書きます。

みなさんのハートをガッチリ鷲掴みするために、ブログを書き倒します。

だから読者登録してください。

 

ワイも輝くで!

 

 

こんな過去記事もあります。

gattolibero.hatenablog.com

 

gattolibero.hatenablog.com

 

gattolibero.hatenablog.com