アイヌの長老、浦川治造さんのカリスマ性に度肝を抜かれた。

先日、アイヌ民族の長老に密着した番組を観たんですけどね、いや~…やっぱ凄かったね…。

浦川治造(うらかわ はるぞう)さんの、大勢の人々を引っ張っていくチカラというかな、リーダーシップというか、カリスマ性というか。

まぁ、とにかく楽観的で、豪快に「ガッハッハ!」と笑っている感じなんですけどね。

そういう人間的な魅力を持っている人っていうのは、やっぱ幼いころから、その非凡さの片鱗を見せているものなんでしょうかね…。

 

こころの時代~宗教・人生~「アイヌ ネノ アン アイヌ ―人間らしい人間―」

北海道から上京して30年あまり、関東で暮らすアイヌの長老として信望が厚い浦川治造さん。貧困や差別をものともせず、生き抜いてきた。浦川さんを支えるアイヌの心とは。

浦川治造さんは昭和13年、北海道浦河町の生まれ。両親が病弱で5歳から田畑で働き、中学生の時には一家の大黒柱に。45歳で上京後は解体業の会社を興し、アイヌの仲間たちに頼られる存在になっていく。「アイヌ ネノ アン アイヌ」とは「人間らしい人間」を意味するアイヌの言葉。それはどんな時にも笑顔を絶やさず、体ひとつで家族や仲間を支えてきた浦川さんの姿に重なる。現代のアイヌとして生きる浦川さんの言葉。

こころの時代~宗教・人生~/宗教の時間 - NHK

 

 

アイヌの長老、浦川治造(うらかわ はるぞう)さんの半生に触れ、やっぱ根本的に、最初からモノが違うんだなぁ…と実感。

なんといいましょうか、将来的にアイヌのみんなを引っ張っていく長老になる器(うつわ)だった、ってことなんでしょうなぁ。

もう、小学生の頃から、大器の片鱗を見せていたようで。

 

一言でいうと豪傑なんですよ、豪傑。

 

生まれついての豪傑。

ナチュラル・ボーン・GOUKETSU。

 

浦川さんは、小学校にもほとんど通っていないので、今でも読み書きはちょっと苦手らしいです。

同級生たちが、学校へ行っている間、浦川さんはどこで何をやっていたかというと、農作業に明け暮れていました。

小学6年生で、すでに大人と同じ仕事をこなしていたそうで、根本的にね、体のつくりがちょっと違うんですよね。

ガタイがいい。

丈夫。タフ。マッチョ。

 

相撲大会の一コマ。

ドセンターに君臨しているゴリマッチョな胸毛のイケメンが浦川さんです。

おそらく根本的に骨格が違う。骨太。

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こころの時代~宗教・人生~「アイヌ ネノ アン アイヌ ―人間らしい人間―」より引用

 

ガタイがいいだけじゃなくてね、ホリが深くて男前なんすよねぇ…。

ちょっとラテン系のイケメンって感じ。

 

ちなみに、画像が荒くて分かりにくいですけど、浦川さんの若い頃の顔、俳優の誰かに似てると思いません?

実は浦川さん、芸能界でケンカ最強の呼び声も高い、宇梶剛士(うかじ たかし)さんの叔父なのです。

宇梶剛士さんは芸能界入りする前、日本最大の暴走族グループの総長だった、というのは有名な話ですが、めちゃめちゃケンカ強いらしいんすよね。身長190センチあるしね。

 

宇梶剛士さんの若かりし頃。

もう飽きれるほどイケメン。

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とにかく、芸能界ケンカ最強の役者、宇梶さんの叔父にあたる人物、というだけで浦川治造さんがどれだけヤバい男だったか、なんとなく分かっていただけると思います。

 

浦川さんは、常人の2~3倍、働いたという伝説が残っています。

超絶タフネス。

 

でね、「健全な精神は健全な肉体に宿る」 じゃないんですけど、浦川さんは、メンタルも超絶、強いんですよね…。

 精神的に強い。

 

 

浦川治造、超人伝説。身体能力だけじゃない。精神力も人並み外れた規格外だった件。 

まずね、浦川さんが幼かった頃も、アイヌに対する差別はあったんですよ。

アイヌの子はイジメられたり、石を投げられたり、迫害を受けていたんです。

 

そうするとさ、浦川さんの幼少期の悲惨なエピソードとかも欲しがるわけですよ、番組制作側としては。

ところが、浦川さんは、一個も言わないんですよ。

愚痴も、泣き言も、つらかった思い出を、いっっっっさい、語らないんです。

 

おそらく散々、酷い目にも合ってきてるんです。

つらい思い、悲しい思いもしてきてるんです。

 

でも、言わない。

 

人の2倍3倍働くことで、自分の実力で、誹謗中傷をねじ伏せてきた、という生き様。

圧倒的に頑張ることで、誰にも文句は言わせない、というライフスタイル。

 

同窓会のシーンで、中学校時代の恩師が浦川さんのことを語っていました。

「(浦川さんは)悪口を言われても、ニコニコ笑顔でそれを聞いている。これは普通の人間には真似の出来ない事だ」

 

アイヌの中には、自分の出自を隠して生きている人も多いらしいですが、浦川さんは、子供の頃から、真っ向勝負、自分がアイヌであることを一切、隠さずに堂々と生きてきました。

 

すごい漢(おとこ)だ。

 

 

こんなエピソードがあります。浦川さんの娘さんの話。

浦川さんの娘さんも、子供の頃「アイヌアイヌ」とバカにされ、イジメられて育ちました。

 

だから、アイヌであることを隠さずに堂々と生きている父親のことが大嫌いだった。

学校でいじめられたことを話しても、つらい気持ちを話しても、お父さんは全然分かってくれない。

 

「それはお前の心が負けているんだ」

と言い返されてしまう。

 

娘さんは、自分のつらい気持ちを分かってほしかった、と語っています。

 

誰もがみんな、浦川治造さんのように強く生きられるわけではない。

…そういうことなのかな…。

 

 

浦川さんは45歳の時、一念発起、仕事を求めて東京へとやってきます。

奥さんが脳梗塞に倒れ、大きな借金を抱えた浦川さんは、仕事を求めて上京します。

軽自動車に寝泊まりしながら、日雇い労働に明け暮れ、まもなく解体業の会社を自らおこします。

 

当時、東京で暮らすアイヌの人々は約2700人。

差別や貧困から逃れるためにやってきた人々の中には、アイヌであることを隠して生活している人も少なくなかったようです。

 

あえてアイヌの民族衣装を着て羽田空港に降り立った浦川さんのこんなエピソードがあります。

浦川さんは、アイヌであることを隠さない。真っ向勝負。堂々とさらけ出す。

「空港内は混んでいたけど、皆が退けてくれて、アイヌの格好をした自分の前にサーッと道ができた。気分良かったよ。ガッハッハ!」

と笑う浦川さん。

…豪傑や…。

 

これだけのカリスマ性を持っている人物を周りが放っておくはずもなく、浦川さんの周りには、多くのアイヌの仲間たちが集まってくるようになります。

平成元年、関東ウタリ会の会長に就任。

関東で暮らすアイヌ5000人のまとめ役となりました。

 

「地位が人をつくる」という言葉がありますが、その後、浦川さんの中に、より強いアイヌに対する気持ちが芽生えます。

そしてアイヌの長老たちの元を訪れ、さまざまな儀式などを積極的に学ぶようになり、着実に将来の長老候補として、アイヌの文化を吸収していきました。

 

んで、現在に至る…的な。

 

浦川治造さんを見ていて印象的なのが、とにかくよく笑うことね。

「ガッハッハ!」って、屈託なく笑う。

人間のスケールがちょっと違うな…と思わせるビッグ・スマイル。

 

自分もこういう器のデカいジジイになりてぇな~と思うけど、難しいよね…。

修行が全然、足りんね

 

他に何にも要らんから、器だけデカくなりたいわ。

 

 

余談ですが、浦川治造(うらかわ はるぞう)さんと、娘さんとの確執はどうなったか?

アイヌであるがゆえに、幼少期に差別やいじめを受けた経験のある長女の真喜子さん。

 

真喜子さんは、アイヌであることを堂々とさらけ出して生きている父の浦川治造さんに対しては、ずっと反発心を抱いていました。

 

親元を離れた真喜子さんはその後、アイヌであることを隠して暮らしていました。

…で、現在はというと。

 

これがもう、なんつ~か、ドラマティックな話なんですけども。

紆余曲折を経た結果、真喜子さんは自分の中のさまざまな葛藤を乗り越え、アイヌである自分を受け入れ、そして、お父さんのようにアイヌ文化の継承者となったのです。

 

真喜子さんは今では日本各地を回り、アイヌ刺繍の講座を開いています。

アイヌであることで苦しんだ真喜子さんは今、アイヌの誇りを持って活動しています。

 

よかったです、真喜子さん。

自分をまるごと好きになれて、自分が輝ける場所を見つけることができて…。

 

いや~、人生ってホント、どこでどうなるか分からんね。

人生の転機って、その人の中で準備が整った良きタイミングで訪れるものなのかもなぁ…。

 

とにかくこれで、めでたしめでたし!

最後は浦川治造流に〆ましょう。

ガッハッハ!

 

 

 

よく笑うと言えば、この過去記事。

人里離れた山奥の尼寺で生活している尼さんたちの日常を紹介する番組。

『やまと尼寺 精進日記』に登場する尼さんたちが、これがもうね、本当によく笑う。

豊かさとは何なのか?

すごくいろいろ考えさせられました。

gattolibero.hatenablog.com