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生きづらさを抱える人へ。「もう無理。限界だ」と思ったら読んでね。+追記

【生きづらさを抱えているアナタとワタシへ】 人生の羅針盤 【引きこもり&ニートへ】

「生きるのがつらい」とか「死にたい」とか。

そういう気持ちを吐き出しているブログやツイートを度々見かけます。

私自身も以前はそう感じていましたから、他人とは思えなくて。

正直な話、ほんの少し前まで

本当にもう、どうやって生きていけばいいのか分からなくて途方に暮れていました。

何十年も悩みましたし、苦しみました。

 

でも、もう大丈夫。

あんまり一般市民にはオススメできない「非推奨」なやり方ですけど、今日は、私が私自身を救うことができた時の話をしましょう。

 

とりあえず、物心ついた時には「これはやべぇぞ。この世界に順応できそうにない」という感覚が漠然とあった。

もしかすると、私はいわゆる「ADHD」とか「多動」とか、あるいは「アスペルガー」と言われるものなのか…とにかく、そういう症状がありました。

(今となっては詳しく分析したいとも思ってません。もう、どうでもいい。)

 

私が小さい頃は、そういった言葉や考え方は一般的ではありませんでした。

20代の前半に、深夜にテレビで、ADHDに関する番組を偶然、見かけて。

「何これ!オレ、ADHDじゃん!!原因はコレか!」

って、メモを取りながら食い入るように観ました。

 

とりあえず、私は言葉を覚えるのが遅かったらしくて、親は

「この子は脳に病気や障害があるんじゃないか?」

って心配したそうです。

 

幼稚園に入ってからも、男の子がみんな外で遊んでいるのに、私だけひとりで黙々とクレヨンで絵を描いているとか。

「ほら!みんな外で遊んでるよ!自由ネコくん(仮名)も外で遊びなさい」

みたいな感じだったらしくて。

(このエピソードは自分では全く覚えていません)

 

基本的には、じっとしていられない。

すぐに迷子や行方不明になる。

 

普段は注意力が散漫だけど

自分が好きな事だけは異常なまでの熱意を持って延々とやっている。

 

そんな感じ。

 

小学校の低学年の時に、漠然とではありますが

「うわ~ダメだ。どうしよう。この世界でうまくやっていける気がしない」

というような感覚に襲われて、うろたえた事を覚えています。

 

「このことを親や兄弟や同級生に知られたら、自分はもう終わりだ。隠し通すしかない」

そう思っていました。

 

何かこう……例えるなら

「自分は他の星からやってきた宇宙人で、人間界でうまくやるためには、自分の素性を明かしてはならない」

という感じでしょうか。

何この恐怖感。

 

とにかくそういう感覚を、ずっと持ったまま生きてきました。

仮面を被ったまま生きていくしかない。

「本当は辛いんだよ」だなんて、誰にも打ち明けることは出来ないんだ、と。

 

 

結局私は、空気が読めないんですよ、今でも。

本当はね。

でも、過去の膨大な失敗体験のデータベースを元に、その場の状況にあわせて、どう振る舞えばいいのかを判断して、なんとなく正解と思われる行動をできるようには、なりつつあるんでね。

亀の甲より年の劫。

そのおかげで、はたから見れば、なんとなく普通の人間っぽく見えているはずです。

(見えてなかったらゴメン(笑))

でもねぇ…

この作業が、実は頭をフル回転させないとダメなんですよね。

エネルギーの消費が著しい。

だからね、私は、人と接するとめちゃめちゃ疲れるんです。

めちゃめちゃ疲れる。

異常に疲れる。

数日、寝込んだりします。

心身共に、ボロボロになります。

 

年を取るごとに、経験を積むごとに、人間社会でうまくやり過ごせる確率は高くなっていったけど、その代わりに、後から来る反動が、どんどんデカくなっていきました。

 

例えば、若い頃は、一カ月頑張って、一カ月休養、みたいな感じだったとすると、今なら一カ月頑張れば半年は寝込むかもしれません。

まぁ、そうなることが分かってるから、もう頑張るのは辞めましたけど。

無理。出来ないものは出来ない。

 

「人間に関わると心身に異常をきたす」

というハンディキャップ。

人生、無理ゲーすぎ。

 

この地獄、コミュニケーション能力の高い人には分かるまい。

(分かってくれとも思ってないけど) 

 

とにかく年齢と共に、精神力と体力が衰えてきてるので、一度ぐったりしちゃうと、なんかもう、全然復活できないんですよね。

復活までにかかる時間が延びているだけじゃなくて、ダメージ自体の大きさもデカくなってきてる。

ホント、マジ勘弁。

 

数をこなせば、多くの人と関われば、どんどん慣れてくるのかと思いきや、そうではなかった。

むしろ、ダメージは蓄積される一方。

人生って甘くないね~。

 

さて、ここまでの話、全部、前フリだから。

いよいよ本題に入ります。

 

 

生きづらさを抱える人が「もう無理。死ぬしかない」というところまで追い詰められた時には、こんな選択肢がございます。

ある意味、最後の手段と言ってもいい「裏技」なんでね、基本的には【非推奨】です。

難易度、めちゃ高いから。

 

まず、絶対的な覚悟が必要になります。

これがもうね、普通は多分、無理。

 

おそらく、

「ここで覚悟を決めないと死ぬしかない」

というところまで追い詰められないと、覚悟なんて決まらないと思う。

普通の人間だったら。

 

結局私も、覚悟が決まるまでに、何十年もかかってるし。

「もう他に選択肢が無い」

というところまで追い詰められたからこそ、覚悟するしかなかった、とも言えます。

 

そう簡単に到達できるもんじゃない。

そんなに安易なもんじゃない。

 

え~~、発表します。

最終奥義。っていうか最後の手段。

 

人並みの生活がしたい、という「欲」を捨ててください。

普通の人生を歩みたい、という「欲」を捨ててください。

今よりもマシな存在になりたい、という「欲」を捨ててください。

人間的に成長したい、という「欲」を捨ててください。

そうすれば呪縛から解放されます。

 

どうですか?

その「欲」を捨てることができますか?

 

できないでしょう。

出来なくて当たり前。

それでOKです。

 

もしも、その境地にまで達したければ、とりあえず山籠もりしたり、滝に打たれたり、何年か厳しい修行をするのがいいかもしれません。

結局は、それが近道かも。

 

それほどまでに「欲」は捨てられないんですよ。

難しいんです。

 

実は、捨てられないことが原因で、生きるのが大変なんだけどね。

しかしまた、捨てるのも大変という地獄。

 

どっちみち地獄。

 

 

実をいうと私は、「人間的な成長が見込めるよ」っていう殺し文句は、呪いの一種なんじゃないかと考えているわけです。

例えば会社で、月に300時間のサービス残業をしなければならなくなったとしましょうか。無茶苦茶な話です。

その時、上司や先輩がこうささやくわけです。

「でも、この困難を乗り越えれば人間的な成長が見込めるよ」

 

会社だけではなく学校でも使えます。

 

学校に行きたくないよ~。

いやだよ~。居場所が無いよ~~。

「でも、いま頑張って学校に行けば人間として成長できるよ」 

 

 嫌がってる人に何かをやらせるときに、非常に便利な言葉なんだよね。

「人間として成長できます」っていうセリフ。

 

文字通り、人を殺せる力を持つ殺し文句だと思う。

過労死する人なんかは、実際に殺されてるようなもんだよね。

 

そしてこれって、他人から言われるケースよりも、おそらく、

自分で自分に言い聞かせてるケースの方が断然、多いと思うね。

だからこそ厄介なのかも知れない。

多くの人は自分で自分に呪いをかけている。

 

「いま目の前にある、このハードルを超えれば、人として成長できる…!」

その思いで、人は頑張ることができるわけだけど、度を超えれば、潰れちゃうし、自分を殺すことになる。

 

死を選ぶくらいなら、成長を諦めたほうがマシ。

もうさ、辞めりゃいいのよ。

人間的な成長なんて。

命と引き換えに手に入れるほど重要なもんじゃないだろ。

 

「まんざらでもない自分自身でありたい」という欲望を捨て去る。

 

死ぬくらいなら電通なんて辞めちまえばよかったのよ。

上司に罵倒されようとも、

親に泣かれようとも、

友達に笑われようとも、

死ぬくらいなら、ゴミとして生きりゃよかったのよ。

 

サッパリ成長しないまま、無様でヘタレで、みっともなくて、社会の役に立たないまま、ゴミのように生きればいいんだよ。

そうすりゃ、今まで自分が背負ってきたプレッシャーから解放されるんだ。

ただ問題は、その覚悟ができるかどうか?なんだよね~。

 

 

今、人生がつらい人、苦しい人は、

試しに、脳内で思考実験してみるといい。

頭の中で想像してみる。

自分がさまざまな欲を捨てた場合、どれだけストレスから解放されるのか?

できるだけリアルにイメージしてみてごらん。

 

こっち方面の欲を捨てる。

社会復帰したいとか、

ちゃんとした社会人になりたいとか、

今よりもマシになりたいとか、

誰かの役に立ちたいとか、

立派になりたいとか、

人として成長したいとか、

褒められたいとか、

家族に迷惑をかけないようにしたいとか、

金持ちになりたいとか、

幸せそうだと思われたいとか、

みんなに好かれる憧れの存在になりたいとか、

そういった

自分に対する「期待」を全部まるごと捨ててみる。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

どうよ?

 

おそらく今、脳内の自分自身は大半のストレスから解放されてるはずだよ。

 

自由を手に入れるためには、その分、何かを失わなければならない。

覚悟しなきゃダメなんだよ。 

何も失わずに、そのうえで何かを手に入れようだなんて、そんな都合のイイ話は無いんだよ。人生なめんなよ。

 

結局、苦しんでいる人は、覚悟ができてないんだよな。

冷静に、客観的に考えてみるといい。

自分自身を省みてごらん。

 

 

「成長しなきゃ!」って思うのは、今の自分ではまだ足りないと感じているからだ。

 

ありのままの自分をうわべだけではなく「本当」に受け入れるということは、今以上の存在になる可能性のない、現状維持の自分自身のことでさえも100%認めてあげる、ということだ。

できてますか?

できてないよな。

だからあなたは、苦しいんだよ。

 

哲学や宗教や自己啓発の本を何冊読みあさっても無駄だよ。

自分が覚悟を決めない以上、ただの現実逃避でしかない。

そこに答えは無いんだ。

アナタを救うのはアナタ自身の「決意」と「行動」なんだよ。 

 

分かったら30分間、ジョギングして来い。

頭の中がクリアになります。 

 

 

ようするに、私は腹をくくったわけです。もうね、クソ野郎として生きていこうと。 

ということで。

私はもう、自分に期待するのは辞めた。

どうしようもないクズ人間のまま生きる。

そう腹をくくったわけです。

覚悟を決めたワケ。

 

やけくそだよね。

なかば自暴自棄。 

 

例え全世界から非難を浴びても、そんなもん知るか!

「ワシはこの生き方しかできないんじゃボケ!」 

完全に開き直った。

で、そうするとどうなったか。

ブレなくなった。

精神的に安定するようになった。

 

何か、スゲーバカバカしい話なんだけどね。

 

自己嫌悪に陥らなくなった。

自分自身がワンランクアップしたわけではないのに。

 

今までの自分と何ら変わりないクズのまま。

しかし、自分に対する見方が変わった。

以前は自分に対して合格点を出せなかったけど

今では「合格?不合格?知るかよ、そんなこと。ドアホ!」で済ませることができる。

 

こうなってくると、もう、怖いもんなし。

 

例えばね、もしも…そうだなぁ、

私が大好きな、芸術家の岡本太郎さんが、目の前に現れて

「おい、君の生き方、考え方は間違えているぞ!ゴミ野郎め!」

って、説教してきたとしましょうか。

 

今までの私だったら、当然、ショックを受けると思います。

大好きな岡本太郎さんに生き方を否定された…ガックリ…。

って、凹むし、動揺すると思う。

太郎さんの言ってることの方が正しいって思っちゃうはず。

 

でも、今ならどうかというと、私はきっと全然ブレない。

「うるせえなこのクソが!ゴミ野郎だと?上等じゃねぇか!これがワシの生き様じゃ!」

って思うだけだね。

ディスられて頭に血がのぼるだろうけど、凹まないし、揺らがないね。

 

腹をくくるってそういう事だから。

もうこっちは命かけるくらいの覚悟ができてるから。

こちとら、この覚悟のために人生の大半の時間を費やしてきてんだよ。

もう一歩たりともオレは引かんぞ。

太郎がナンボのもんじゃい。

 

それで、大喧嘩になった挙句、最終的には岡本太郎とメル友になります。

太郎もきっと、ゴミとして生きていく覚悟の出来た男の存在を喜んでくれると思う。

 

ちなみに、ツイッターで実際にそんな感じの事があったんだよね。

ずいぶん前の話だけど。

私が好きでよく読んでいる人気アカウントの中の人(ジャーナリスト?)に、

「あなたの考え方、間違えてると思いますよ」 

って言われたことがあって。

カチンと来たけど、凹みはしなかったし、考え方がグラつくこともなかったんだよね。

「いやいやいや、これがオレの答えなんで」みたいに返してさ。

それで、

「あっ、誰に何言われても、自分は大丈夫だな」

って実感したんだよね。

まぁフォローは外したけどね。

その人への興味が無くなったから(笑)

私は心が狭いのです。

 

天空の城ラピュタ」の中で、海賊のドーラが言っていましたよね。

海賊が財宝を狙ってどこが悪い! 

 

開き直ってる奴は強い。

私も言いましょう。

クズ人間の心が狭くてどこが悪い!

もうね、温情とか無し。

ウザっ!って思ったらどんどんブロックするし、非表示にします(笑)

 

 

っていうかさ。今朝。

一緒に住んでいる相方の大福さんに、めっちゃ説教されました。

「今日こそ絶対に、風呂をピカピカに掃除しろ」

って。

 

ようするに、私はクソ野郎なので、風呂掃除を後回しにしてブログを書くような男なのです。

しかも、悪びれる様子もなく…!

クソですね~。

ろくでなしですね~。

 

 

無理矢理まとめるか。 自分が背負える荷物だけで旅をするのです。

もう一回整理してみますか。

え~~と。

「もう人生ダメだぁ~!死ぬしかない…」

っていうところまで追い込まれた人は「自分に対する期待」を捨てちゃおう、ってことね。

そうすると一気に生き易くなるからね。

今まで何に苦しんでいたんだ?って拍子抜けするくらい、目の前が拓けてきます。

ただ、自分自身のふがいなさを受け入れるのがすごく大変なんだけどね。

 

そしてもうひとつ。

「欲」を捨て去るのは、容易なことじゃないってことね。

一朝一夕にマスターできません。

物凄く時間も労力もかかります。

とりあえず10年だな。

楽して簡単にその境地を手に入れようとしてもダメです。

それは考えが甘すぎ。アマアマ。

 

 

※追記

書き方が雑だったんで、いろいろ勘違いさせてしまって申し訳ないっ!

別に、全ての欲を捨てなくても全然OKですね。

むしろ「クズ野郎」なら煩悩ゴリゴリで上等ですから。

(可能なら捨てたほうがいいんだろうけどね、難しい)

言ってることが支離滅裂でもいいし、無様でもいいし、バカでもいいんです。

クズ野郎ってのはそういうことです。

 

今回の話の一番のポイントは

どうしようもないところまで追い詰められて死を選んだり、病気になっちゃうよりは

「人として成長したい」という欲望を手放す

っていうことね。

今回言いたかった一番のキモはそこね。

 

それと、

「お前は、他者を救いたいという欲にまみれてるじゃねぇか」 

という指摘があったようですが、

まぁ、欲はいろいろとあるんでしょうね。

欲があること自体は否定しない。

ただね、おそらくちょっと違う。

他人を救おうとは思ってなくて、自分を救おうと思ってるんだなぁ。

gattolibero.hatenablog.com

 

 

 

今回のエントリーとカブる内容の過去記事を発見した。

まぁカブるっつ~か、補完する関係だな。

今回、言い切れなかったことはこっちに書いてある感じだな。

なんとなく2部作の様相。

gattolibero.hatenablog.com